所 裕子准教授 — 熱を永続的に保持し、自由に取り出せるセラミック

代表者 : 所 裕子  

熱を永続的に保持し、自由に取り出せるセラミック

物質科学には“相“という概念がある。全体にわたって組成や性質が均一な状態であることを一つの”相”をなしている、と表現する。水と氷はH2Oの2つの“相”だ。水が氷に(逆も)変わることを“相”が転移した、という。所准教授の研究領域は物質の相を操る科学である。

先生の研究内容を教えてください。

私の研究のキーワードは“相転移”です。特に、光や温度などの刺激に応答して、光学的、磁気的、電気特性などが変化する機能物質を作り出すことを研究の目的としています。

最近発見した機能物質をご説明ください。

λ-五酸化三チタン(読み;ラムダごさんかさんチタン、化学式;λ-Ti3O5)という物質を、共同研究者と協力して、世界で初めて作り出しました。この材料はセラミックです。ナノメートルサイズ(ナノメートルはセンチメートルの1/10,000,000)のくらいの大きさの微粒子がたくさん結合した“焼き物“です。光を当てるとβ-五酸化三チタン(読み;ベータごさんかさんチタン、化学式;β-Ti3O5)という物質に相転移します。λ相もβ相もどちらもTi3O5 で表される五酸化三チタンですが、チタン原子と酸素原子の繋がり方の形が変わる、すなわち結晶構造が異なります。また、先程とは波長や強度が異なる光を当てると、逆にβ相からλ相にも転移できます。つまり、この相転移は光で可逆的だと言えます。また最近、類似体であるストライプ型-λ-Ti3O5 という物質を新たに開発しました。ストライプ型とは、物質の形状が短冊状のストライプ型になっていたことから、このように名付けました。この物質は、セラミックとしては極めて弱い圧力でλ相からβ相に転移したり、熱や電流でβ相からλ相に転移したりします。

(a) λ-Ti3O5 と (b) β-Ti3O5 の結晶構造図

性質にはどのような特徴がありますか。

ストライプ型-λ-Ti3O5 は、λ相からβ相に相転移する際、多量の熱を放出します。この性質と、λ相からβ相への相転移が光や圧力のような外部刺激でのみ引き起こされるという特徴により、様々な応用が期待できます。もっとも有望なものとして蓄熱材としての利用が考えられます。世の中の蓄熱材には大きく分けて2種類あります。ひとつは暖房用のレンガのように、加熱して蓄えた熱を、材料自身は冷めながら外部に放出していく材料です。このように自分が冷えながら放出する熱を“顕熱(けんねつ)“といいます。

レンガは比熱(1g あたりに蓄えられる熱の量)が大きいため顕熱も大きく、暖房用の蓄熱材としては非常にポピュラーなものです。もう一つのタイプは、ある温度になると相転移して熱を放出する材料です。硫酸ナトリウム水塩のような液体(低温で固体)が代表的です。このタイプは外気温が下がってある温度に達すると、液体から固体に相転移し、熱を放出します。熱を放出している間、材料の温度は一定です。このように物質の温度が一定のまま放出される熱は”潜熱(せんねつ)”といいます。

応用を考えた場合、顕熱と潜熱にはどのような違いがありますか。

顕熱を利用する材料では、温めたと同時に熱放出が始まります。時間が経った後で取り出すということができません。そのため、例えば夜間電力で温めて、翌朝、熱を放出して朝の冷え込みを緩和するというような短時間の間の使い方しかできません。もし、翌朝が暖かくて暖房が要らないと思っても、放熱は止められません。結果として過剰暖房になるでしょう。一方、潜熱を利用する材料は、ある温度になるまでは熱が放熱されないので、このような制約はありません。

先生のλ-Ti3O5 はどのような特徴がありますか。

ストライプ型-λ-Ti3O5 からなす蓄熱材は、潜熱を放出するタイプです。しかし、これまでのものとは異なり、温度が下がったからといって放熱が自然に始まることはなく、光や圧力のような外部刺激が与えられて初めて熱の放出が起こります。逆に外部刺激を与えない限り、熱は永続的に蓄えることができます。この性質を利用すると、蓄えた熱は、自由な時間、自由な移動先で取り出すことができます。材料を熱のある場所、例えば廃棄物の焼却炉のようなところで温めて、それを南極のような寒冷地に輸送して、10年後に貯めた熱を取り出す、というような使い方も期待できます。使い方のイメージとしては、電池に電気を貯めて使いたい時に使うように、材料に熱を貯めて使う感じでしょうか。

(a) ストライプ型-λ-Ti3O5 を利用した熱エネルギーの再生利用システムの模式図。
太陽熱発電システムや溶鉱炉の廃熱などを、オイルなどの媒体を通じて
λ-Ti3O5 として蓄熱し、夜間などに圧力を加えて、熱エネルギーを放出させる。
(b) “蓄熱セラミックス”の応用展開の概念図。

光や圧力の外部刺激とは具体的にはどのような操作なのでしょうか。

例えば圧力の場合、数値でいうと60MPa(60 メガパスカル)で相転移が起こります。圧電素子という、電圧をかけると伸び縮みする素子がありますが、この素子を材料の表面に貼り付ければ、電気信号で相転移を引き起こすことができるかもしれません。商業的に入手できる安価な部品で相転移をコントロールできる可能性が広がっています。

なぜ外部刺激でのみ熱が取り出せるのですか。

少し難しい説明になりますが、λ相からβ相への相転移が自然に起こらないのは、λ相とβ相の間に、高いエネルギーの壁が存在するからです。これは、図のように表現されます。λ相とβ相の間にエネルギーの山がありますね。物質がλ相からβ相に移るには山を越えなければいけません。そのためには、先ほどの外部刺激が必要です。60MPa の圧力や光のエネルギーを使って、この山を乗り越えていくことになります。

(a) λ相(グラフの右側, 青丸)からβ相(グラフの左側)に移るには、
途中にあるエネルギーの山を越えなければならない(左上の挿入図)。
(b) 外部刺激で山を越え、β相(グラフの左側, 赤丸)に移る。
λ相とβ相のエネルギーの差が、放出される熱エネルギーに相当する。

材料の持つエネルギーは、しばしばポテンシャル(潜在的、可能性)と表現されます。物質のエネルギーというのは材料に潜在していて、取り出すためには、元の状態よりエネルギーの低い状態にして、差分として取り出すしかありません。平坦な地面に置かれている石にエネルギーがあるとは意識できませんが、もし横に崖が出現して転げ落ちる様を見れば、その石が崖の高さに相当するエネルギーを発揮したとわかるでしょう。λ-Ti3O5が発熱するのは、転移したβ相のエネルギー状態がλ相のそれよりも低いからであって、発熱量はλ相とβ相のエネルギーの差です。この差は、約240kJL-1(240 キロジュールパーリッター)と見積もられます。潜熱を使った蓄熱材として汎用されるエチレングリコールの液体と固体のエネルギー差が165kJL-1ですから、λ-Ti3O5 の発熱がとても大きなものであることがわかります。

蓄熱材としての応用を説明しましたが、これ以外にもいろいろな使い道が考えられます。λ相は濃紺色、β相は茶褐色です。相転移を光で引き起こし、色の差を光で読み取れば、光ディスク材料としての応用も期待できます。また、λ相は金属、β相は半導体で電気抵抗が異なります。電流で転移を引き起こし、電気抵抗を検出することによる電気抵抗変化型メモリー(ReRAM)などへの展開も期待されます。

酸化チタンという材料は歴史が古い材料なのに、新たな相が見つかったというのは不思議な気がします。発見に至った経緯を教えてください。

きっかけは、いろいろな人たちとの交流できたことだと思っています。研究をしていると自分の世界を掘り下げるのに夢中で、狭い世界に篭ってしまいがちなのですが、私の場合は所属していた研究室が大きく、色々な立場の人の出入りがあったので、自然と良いインスピレーションを得られるような交流がありました。

うまくニーズをキャッチできたとして、それを酸化チタンという材料に結び付けられたのはなぜでしょうか。

私もハッキリとはわかりませんが、やはり、いろいろな人たちと交流できたことは、非常に貴重な経験だったと思います。また、あえて言えば、私のバックグラウンドにも関係しているかもしれません。私はこれまでに、化学と物理、両方の専攻に所属してきましたので、その両方の視点を学ぶことができたと思っています。うまく説明はできないのですが、ものを作るときに、こうすれば相転移の様子が変わるのではないかという直感がわくこともありますし、相の割合を変えながらエネルギーを計算した図を眺めていると、きっと新しい安定相が隠れているはずだ、という確信のようなものもありました。きっかけを捉え、自身の知識を使って新しい試みを行い、それが結果に繋がったということかもしれません。

筑波大に進学して研究者を目指す若い人にアドバイスをお願いします。できれば女性研究者の視点で。

もし研究に興味を持ったなら、その心と好奇心をとても大切にして、ぜひ研究に没頭して欲しいと思います。そして、様々な事情で研究を続けることが困難になるときがくるかもしれませんが、困難を乗り越えて研究を続けていって欲しいと思っています。まだまだこの分野では女性研究者は少ないので、女性の場合は同姓が少ないと心細く思うかもしれませんが、好奇心と情熱を大切にして、ぜひ研究を続けて欲しいと思っています。長い時間をかけて研究することで得られる喜びを、ぜひ味わって欲しいと思います。でも、どのような職業でも同じだと思いますが、喜びは苦労の報酬ですから、簡単には見つからないことも知っておいてほしいと思います。特に研究活動は成果を出すまでに何年も苦労し続けることが当たり前の世界です。でもその苦労した分、とても大きな喜びが待っているんです(笑)。