#077:トランジスタの未来を見つめる

数理物質系 植田 暁子 助教

 半導体の世界で有名な、「ムーアの法則」という経験則があります。インテル創業者のひとり、ゴードン・ムーアが1965年に提唱したもので、「半導体集積回路の性能(組み込まれているトランジスタ数)は18カ月ごとに2倍になる」という、技術の発展予測です。トランジスタを微細化することで、同じ面積内に組み込める数が増える、その結果としてコンピューターなどの性能が上がっていくわけです。実際、つい数年ほど前までは、集積回路の処理能力はこの法則に従って向上し続けました。1970年ごろは10μmほどだったトランジスタ1個の大きさが、今では十数nmにまで小さくなったのです(1 nm = 0.001 µm = 0.000001 mm)。しかし、トランジスタの材料であるシリコンの原子間距離は約0.3nmです。なのでそれよりも小さくすることは原理的に不可能です。CPUの性能をもっと上げようとすれば、従来とは根本的に異なるメカニズムで働くトランジスタの開発が不可欠です。そんな新しいトランジスタにはどんな材料や構造が適しているのでしょうか。使う材料によってトランジスタの特性はどう変わるのでしょうか。植田さんは、そうした可能性をシミュレーション計算によって探っています。

ナノサイズの物質では、電子が波としての性質を持つようになり、目に見えるサイズの世界とは異なる挙動を示すようになります。これが量子効果です。そこでは、通常のトランジスタの理論では説明のつかない現象が起こります。これを実験的に観測することもできますが、その理由を探るためにナノレベルで物質を操作することはできません。そこでシミュレーションの出番です。量子効果を考慮した理論的なモデルを構築し、それに当てはめて物質の状態を計算すると、異常に見えていた現象の意味や原因がわかります。それを実験にフィードバックしてもらい、改善策につながげようというわけです。

 シミュレーションと言葉で言うのは簡単ですが、材料の性質そのものや電導特性など、その対象はとても幅広い上に、それぞれ専門性も異なります。汎用的なパソコン1台ですぐに計算できるものから、スーパーコンピューター「京」を使って1週間もかかるものまで、レベルも多種多様です。ただ、スーパーコンピューターを使う方が計算の精度が高いというわけでは必ずしもありません。物質固有の特徴を捉えようとすると、量子力学的な複雑な計算が必要になりますし、トランジスタの構造などによるデバイスとしての特性の変化を捉えるためには、むしろシンプルな計算で十分です。いずれの場合も、物質が持つさまざまな性質、つまり物理学の基本をきちんと知らなくてはなりません。

 今はトランジスタや次世代デバイスといった半導体を研究対象にしている植田さん。もともと特に電子機器などが好きだったというわけではないそうです。子供の頃には生きものに興味があり、生きものはどうやって動いているのか、どうして知能があるのかといったことに関心がありました。しかしその疑問を突き詰めていくと、分子や原子のしくみに行き着くと考え、大学では物理学を専攻しました。そして物質の根源的な性質を扱う量子力学を学んでいるうちに、電子の流れの研究に発展し、それがデバイスの研究開発分野で求められるようになったのだそうです。全く違う分野に進んでしまったように見えますが、トランジスタと生物はあながち無関係でもありません。たとえば、神経細胞の情報伝達は電流によって行われますし、自ら電気を発生する生物もいます。量子力学やデバイスの視点から見れば、生物の新しい側面を捉えることができるかもしれません。

 現在のトランジスタが限界を迎えていることは、この分野での共通認識です。しかしそれに代わるものとして何が最適かについては、まだコンセンサスがありません。今のところ、電子のトンネル現象を用いたトランジスタ(トンネルFET)やシリコン以外の半導体を用いたトランジスタ、例えばグラフェン(炭素原子が蜂の巣状に結合して単層を形成したもの)などの層状物質を用いたものが候補として挙っています。けれども従来のトランジスタとの互換性や信頼性、それに生産効率やコストなど、部品としての実用的な側面も含めると、決め手に欠くというのが現状のようです。とはいえ、新しいトランジスタの出現はもはや時間の問題でしょう。それに伴ってさまざまな機器やシステムにも大きな変化が生じることが予想されます。小さな小さな量子の世界を通して、10年後、20年後、さらに先の社会の姿にまで思いを馳せています。