人文社会系 河田 英介 助教
文豪と称されるヘミングウェイですが、本人は辞書を使用せずに読める文学を目指していたそうです。ヘミングウェイを原文で初めて読んだ時、河田さんは、このシンプルさを訝しんだそうです。それもそのはず、文豪自身、「私は常に氷山の原則に従って書こうとする。水面上に現れている部分に対してそれぞれ8分の7が水面下に存在する」と語っていたとか。つまり自らの文学の本質を、意識的にほぼ水面下に隠していたわけです。
ヘミングウェイは1920年代半ばから多くの短編作品と長編を残しました。『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰が為に鐘は鳴る』、そして『老人と海』を発表し、54年にノーベル文学賞に輝き、61年に亡くなりました。没後半世紀以上を経て、すでに研究し尽くされているのではないかと思うのは素人考え、時代ごとに新たな問題を与えてくれる深い作家なのだそうです。
昔から人気のあったヘミングウェイですが、その一方で、「マッチョ作家」とか「女性蔑視」という烙印も押されてきました。しかし、現代の観点から読み返せば、男性優位社会の中で抑圧されている女性と、それに気付かないナイーヴな男たちを前景に描くと同時に、背景には時代に隠蔽された真実を的確に描き込んでいたことがわかります。さらには、有名な『老人と海』は、一般に、老人の精神的なタフさと少年との友情の話として読まれています。しかしテクストを凝視すると、別の一面が浮き上がってくると、河田さんは語ります。主人公の老人は、なぜか英字新聞に目を通し、大リーグの勝敗を気にかけています。つまり老人はキューバ人ながら、文化的に植民地化を図るアメリカにシンパシーを抱く人間として描かれているのです。そこには、植民地状態が継続するキューバのポスト・コロニアルな社会像を水面下に潜り込ませて歴史に残そうとする作意の霊妙さが見てとれるのだそうです。そしてそれは、今だからこそ鮮明に読み取れること。
一方、ヘミングウェイの簡潔な文体は、余計な装飾をそぎ落とそうとしたモダニズムの文化・政治的な背景を反映したものでもあるといいます。ヘミングウェイは、ピカソ、コクトー、シャネルらが集った、前衛作家ガートルード・スタインのサロンに出入りしていました。スタインの簡潔な文体的フォルムに影響を受け、シャネルは、女性の身体を解放するため、くびれや袖のない、丈の短い黒いドレスをデザインしました。ヘミングウェイは華麗な装飾を捨て去った簡潔な文体で『日はまた昇る』を書きました。そうした黒いドレスを着た女性を中心的登場人物にすることで、女性解放運動への共感を暗に示しました。ヘミングウェイの作品には女性があまり登場しない上に、登場しても饒舌ではありません。しかしそれは、女性への抑圧の歴史を記録するための歴史的記号なのだと河田さんは言います。
80年代の脱構築批評が提唱した「読むことの倫理」という問題設定を踏まえて、河田さんはヘミングウェイ文学を捉え直そうとしています。先入観や直感からではなく、作家の描いた氷山の8分の1を凝視することで初めて、その水面下の部分を倫理的かつ科学的に解釈しうると言います。たとえばヘミングウェイ作品の多くでは、クライマックスが削られています。いうなれば、絶頂を期待する男性的願望がみごとに裏切られているのです。なのにヘミングウェイ文学にマッチョ文学、女性蔑視という烙印を押すことは、ある意味で「読むことの倫理」に反するわけです。河田さんによれば、こうした読み方は、社会を一つのテクストと見なし、それを倫理的に読むことにも応用できるといいます。世の中の真実を倫理的に読もうとしなければ、公正な解釈を導くことはかないません。
河田さんは、人生の遠回りを楽しんだそうです。日本の高校を卒業して入学したコロンビア大学では分析哲学を学び、東京大学大学院の修士課程ではポスト構造主義思想を専攻し、博士課程からは英米文学に転向、その間に音楽人としてのキャリアも積み、休学も経験しました。しかし分野転向や音楽の自己表現は、結果的に文学的な感性を研ぎ澄ましてくれたそうです。今後は、ヘミングウェイの短編作品における修辞的美学の発展を体系的に究明していきたいそうです。