#082:異なるものとの出会いを見守る心理療法

代表者 : 田中 崇恵  

人間系 田中 崇恵 助教

 現在、全国のすべての公立中学校にスクールカウンセラーが配置されています。そのきっかけは、不登校、いじめ、自殺など、教育現場をめぐる問題の深刻化、阪神・淡路大震災によって心の傷を負った生徒のケアの必要性などを背景に、旧文部省が1995年度(平成7年度)から開始した事業でした。小学校、高等学校、大学での配置も進んでいます。そうしたカウンセラーになるには臨床心理士の資格が必要です。田中さんは、京都大学大学院で学んで臨床心理士の資格を取得した後、フェリス女学院大学と東京大学の学生相談室を経て、2016年9月から筑波大学保健管理センター学生相談室のカウンセラーに着任しました。カウンセリング業務のほかに、人間系の教員として教育と研究にも携わっています。

 現在の大学生は、入学した中学にスクールカウンセラーがほぼすでにいた世代に属します。なので、心理療法やカウンセリングに対するハードルが割と低いらしく、相談に訪れる数は多いといいます。とはいっても、学生の多くは深刻な悩みを抱えて相談にやってきます。あたりまえだと思っていた自分、それまでの日常が崩れたと感じて立ちすくんでいる人たちです。田中さんはそうした学生に対して、「困ったとき,苦しいことに直面したとき,悩みを抱えたあなたは、すでに新たな自分への第一歩を踏み出している」と表現し、「そんな心の発展のお手伝をします」と、本学の学生相談室のウェブページで呼びかけています。日常やそれまでの自分に違和感を抱き、アイデンティティを崩壊させてやって来た相談者が、心理療法によって未知の自分に出会う体験を、田中さんは「異(い)なるものの体験」と呼んでいます。たとえば、なにげなく鏡をのぞき込み、そこに映っている自分に違和感を覚えて恐ろしくなり、自らのアイデンティティに自信がなくなったという事例があるそうです。この場合の鏡の向こうの自分との出会いが、田中さんの言う「異なるものの体験」です。異なるものと出会って新たな地平を広げてもらうことが、臨床心理の治療につながります。そのためには、話を聞くだけでなく、絵を描いてもらったり、箱庭にフィギュアなどを並べて表現してもらう箱庭療法をやってもらうこともあります。

 社会の発展に希望が持てた時代の若者は、明るくて積極的に行動するタイプの自分を核に、心の振幅を示すというタイプが平均的でした。しかし現代の若者は、自分が何をしたいのよくわからない、なんとなく不安だけれどもはっきりと悩みを話せないといったタイプが増えているといいます。自我のあり方が変わってきているのです。田中さんよりも年上、シニア世代のカウンセラーのなかには、自分の世代の自我のあり方との違いに戸惑っている人も多いといいます。そのように、相談者とカウンセラーとの出会いも個別的です。そうした個別の事例を積み上げることで、臨床心理学は発展してきました。

 田中さんは、中学生のときに臨床心理士の事例紹介の本を読み、こんな仕事があるんだと驚いたそうです。そして、臨床心理士として人間にかかわる仕事への興味を募らせました。相談の内容は多岐にわたります。そうした話を受け止めるのは大変な仕事です。ですが、相談室で語られることに嘘はありません。生の感情に触れることで、自分も動かされるそうです。学生の年齢だと、短期間に劇的に変わる例も多いとか。そうした「異なるものの体験」に立ち会えることは、やりがいのある仕事です。人は、悩まなければそれにこしたことはない、というわけではありません。若い人たちには、悩むことはクリエイティブなことなのだと伝えていきたいそうです。