千葉 親文先生
高い再生能力を誇るイモリ。そのしくみは、近年少しずつ解き明かされてきているものの、20年ほど前までは遺伝子レベルで研究するための技術が不足していた。そんな中で日本のアカハライモリの研究を始めた、千葉親文准教授。遺伝子レベルの研究ができる手法を確立し、再生研究の基盤を整えた。アカハライモリが傷を元通りに治す再生のしくみが分かれば、将来大けがからヒトを救えるようになるかもしれないと、先生は期待を寄せる。
「再生のチャンピオン」、イモリ
「再生」とは、生き物が体の一部を失ったときに、その部分を元通りにすることだ。イモリは手足や尾、アゴ、目、心臓、脳までも、傷跡を残さず元通りに治すことができるため、「再生のチャンピオン」と呼ばれる。背骨を持つ動物の中で、大人になってからもこれほどの再生能力を保っている動物は、他に知られていない。日本には、お腹が赤いことからその名がついたアカハライモリという種類が生息しており、再生の研究に用いられている。
しかし1990年代のはじめ、イモリを使う研究室は、世界中に3つほどしかなかった。「その理由は、面白くないから、あるいは、必要性がないからということではなく、実験操作が難しかったからです。遺伝子の情報はない、培養できない、遺伝子の改変も制御もできない。……まさに“ないないづくし”でした」。千葉先生は、当時の状況をそう振り返る。分子や細胞レベルで詳細に研究する手法が確立されていなかったため、再生のメカニズムは、当時はっきりとは検証されていなかった。「自分は、道ができつつあるところを歩くのは嫌なので、難しいからこそやろうと思った」。そう語る千葉先生は、アカハライモリを用いた再生の研究を始めた。
目指すは「誰でもできる技術」
再生の過程は、遺伝子の働きによってコントロールされている。遺伝子の働き方を変えることができれば、再生に関わる遺伝子をあぶり出すことができる。何としても、アカハライモリの遺伝子を操作できる技術が必要だった。
実は、成体イモリの遺伝子を改変する試みは既に行われていたが、成功率が極めて低かった。大多数は遺伝子を改変した細胞と、そうでない細胞の両方が混在するイモリとなり、実験には使えなかったのである。次第に遺伝子を改変する試みは行われなくなり、21世紀に入ってからもしばらくは、世界的に諦めムードが漂っていた。
そんななかで千葉先生らは、高い確率でアカハライモリの遺伝子を改変し、そのまま育てることに成功した。鍵は、成体になってからではなく、卵の段階で遺伝子を操作する「トランスジェニック技術」を導入したことにあった。卵の遺伝子を改変できれば、そこから成長した成体は、すべての細胞が改変された遺伝子を持つことになる。つまり、再生の過程に必要な遺伝子の種類や機能を観察できるようになるというわけだ。
ほかにも問題があった。上記のトランスジェニック技術を使うには多くの卵が必要だが、アカハライモリは交尾できるようになるまでに時間がかかり、一回の産卵数も少ないのだ。実はこのことが、成功率が低いにもかかわらずそれまでの実験では成体イモリが使われてきた理由でもあった。千葉先生らは、この問題についても独自の飼育方法を開発することで克服し、安定して卵を得られるようにした。さらに、温度を工夫することで、遺伝子改変の際に卵の一部に傷がついても生き残りやすくすることにも成功した。
こうして、「誰にでもできるトランスジェニック」がアカハライモリでも可能となり、千葉先生たちは、目の網膜の再生メカニズムの解明を目指して研究を進めた。同時に、他の多くの研究室でも、千葉先生が開発した方法を用いて、イモリを用いた再生の研究が行われるようになっていった。
さらに、若い人も使える実験系に改良
実験に必要な操作や技術のハードルを下げれば、若手の研究者でも再生の研究に挑戦しやすくなる。千葉先生の次なる目標は、イモリが卵を産める大人に成長するまでの時間をさらに短縮することだそうだ。「そうすれば、大学に数年しかいない大学院生でも、研究が十分にできるようになる。一方で海外の研究者とは、『過剰な競争は若手をダメにしてしまうので、再生メカニズムの解明という共通の目標にむかって協力しましょう』と話しています」と千葉先生。今後、再生に関わる研究を進めるとともに、発生学や生理学など様々な領域でイモリが本格的に使えるよう、より扱いやすくするための試みを続けていくそうだ。
人への応用を目指して
このように、アカハライモリ研究に多大なる貢献をした千葉先生だが、先生自身はそれで満足したわけではない。「本当の進歩は、イモリの生命現象の全体像を解明し、それを人の医療に応用できるようにすること。動物を傷つけてまで実験する意味もそこにあると自分に言い聞かせています」。
千葉先生が期待するのは、イモリの研究が、事故などで手足や視力をなくしてしまったときに元通りに再生する治療法の開発に応用されることだ。「再生の基礎法則が見つかれば応用はできるのではないでしょうか。知恵を絞れば、きっとできると思いますよ。」
人を救う可能性も秘めた、アカハライモリの再生研究。千葉先生は、メカニズムの完全解明をめざして、さらなる研究を続けている。
【取材・構成・文 生物学類2年 相馬 朱里】
PROFILE
千葉 親文 (ちば ちかふみ) 准教授
筑波大学生命環境系
脳神経情報学分野・再生生理学研究室
奈良教育大学の修士課程を修了後、筑波大学博士課程へ。神経生理学のノウハウを活かしてアカハライモリの研究を始めた。現在アカハライモリの網膜と手足の再生に関して研究を行っている。