分子細胞生物学 中野 賢太郎准教授
小さな細胞の中に、生命現象を解き明かす鍵がつまっている。そのためのアプローチの一つに、分子細胞生物学という手法がある。中野賢太郎先生は、細胞内のオルガネラ(細胞小器官)の一つである「細胞骨格」に焦点をあてた研究を行っている。その具体的な内容とともに、農学部出身だという中野先生がこのテーマに至るまでの経緯、研究に対するスタンス、そして研究者を目指す学生たちへのメッセージを伺った。
細胞の「骨格」って?
細胞骨格、というものがある。もちろん、白い骨が小さな細胞の中に入っているわけではない。多くの細胞は、核、ミトコンドリア、細胞膜など、さまざまな器官を持っており、これらをまとめて「オルガネラ(細胞小器官)」と呼ぶ。細胞骨格もその一つ。主にアクチンフィラメント、中間径フィラメント、微小管という、タンパク質でできた3種類の繊維からなる。テントが1つの細胞だとすると、天幕が細胞膜、それを支えて潰れないようにする骨組みが細胞骨格とするとわかりやすいだろう。ただし、細胞骨格は細胞の形態を維持する以外にも、下の表のように多くの役割を担っている。
【細胞骨格の役割】
細胞の形を支え、細胞が潰れないようその形態を維持する | 細胞の中に張り巡らされ、物質が移動する道になったり、他の器官の位置を固定したりする | 細胞分裂の時に、核を2つに分けたり核を移動させたりする |
上記は現在判明している働きの一部だけであり、まだまだ謎が多い。その一つに「細胞の状態に合わせて繊維を伸び縮みしたり、ある部分にくっついたりするという能動的な細胞骨格の動きは、どうやって制御されているのか」というものがある。これこそが、中野先生の研究テーマだ。
単純な分裂酵母と、究極に進化したテトラヒメナ
先生は、主に「分裂酵母」と「テトラヒメナ」という2種類の単細胞生物を目的に応じて使い分けたり比較したりしながら、解析を進めている。
分裂酵母は、ヒトと同じく核膜を持つ真核生物でありながら、パン酵母などのイースト菌などよりも染色体が少なく、簡単な細胞構造を持っている。また、遺伝子操作の技術が確立されている、新しい形質をもつ酵母を選び出して増やし、研究に使うことが容易にできる、などの特徴もある。このため、細胞質分裂の時や、細胞の形を維持したり変化させたりする際の細胞骨格のふるまい(ダイナミクス)と、その制御機構の研究に用いられている。
一方、テトラヒメナは、多くの真核生物の中でも、「究極に発達した」とも言える存在だ。ヒトに匹敵する数の遺伝子を持つだけでなく、他の生物が複数の細胞でこなす機能を、たった一つの細胞内で済ませるため、非常に高度に発達したオルガネラを持っているのだ。そのため、細胞骨格の多様性や発達の仕方を探っていくのに適している。
入れ替わり続けるアクチンの謎
細胞が分裂する時に現われ、核を2つに絞り切る「収縮環」という輪は、主にアクチン、ミオシンというタンパク質からなる。これらは筋肉を構成する成分でもあるが、筋肉での状態とは全く異なっている。収縮環では、「あるアクチンが細胞質に出ると、違うアクチンがそこに入る」という入れ替わりが常におきている。この現象自体は以前から知られていたが、その理由はまだわかっていない。中野先生はこの謎を解き明かすため、最初の手がかりとして「入れ替わりは本当に必要なのか」を探る実験を行った。
まず、この入れ替わりはアクチンが重合と脱重合を繰り返すことで起きているため、この繰り返しを止めてみようと考えた。そのために、遺伝子の異常により温度によって分子のふるまいが変わる、分裂酵母の「温度感受性変異株」を利用。この株の分裂酵母は「25℃では通常と変わらないが、30℃にすると数分でアクチンの脱重合が起こらなくなる」という性質を持つ。先生は、この変化がとくにが素早い株を選び出し、収縮環が出来てから核が分裂されるまでの間、アクチンが入れ替わらないようにした。その様子を、アクチンや微小管などは蛍光タンパク質で光らせて観察したのが、左の顕微鏡写真だ。アクチン(黄色)が全体に散らばり、入れ替わりがおきなくなった途端に収縮環が壊れ、分裂できなくなってしまっている。このことから、アクチンが常に入れ替わることが、分裂に不可欠であると証明された。現在は、入れ替わる理由について、より詳しい研究を続けている。
遺伝子の更に先の流れを見た、自分の目に狂いはなかった
「高校生の時から科学技術の応用に興味があった」と話す中野先生は、当時、バイオテクノロジーが大きく発展しはじめていたこともあり、農学部に進学した。在学中も遺伝子操作に強い興味を抱き、より専門的な研究ができる大学院に進もうと考えていた。大学4年での卒業研究でも、バクテリアを用いて遺伝子操作の技術を磨いたという。しかし、偶然見学に行った大学院の説明会で出会った一枚の写真が、考えを大きく変えることとなった。それは、ウニの核がちょうど分裂していく写真。「それ自体は前から知っている現象だったけど、収縮環で分裂していくのが綺麗で、心に残ったんだ」。
“遺伝子が発現し、何らかの因子がはたらき、形質や変化として現れる”…このメカニズムは、中野先生が学部生のころからわかってきていた。「じゃあ、タンパク質は?」「(研究者が多い)遺伝子研究の時代の、その先にあるものは何なんだろう」。写真を見てから日が経つごとに、こうした思いが頭の中を占めていった。幸運なことに、先生の大学院進学と時を同じくして、緑色に光るタンパク質(GFP)などが使われるようになり、それまでの研究に「遺伝子を操作して、目的のタンパク質を光らせて追跡する」という新しい手法が持ち込まれ始めていた。学部生の時に培ってきた遺伝子操作の技術が、思いもよらないかかたちで研究の土台となったのだ。「今思い返すと、(遺伝子の「先」に注目した)自分の目に、狂いはなかったなって思うよ」。
何ができるか、ではなく何がしたいか
「自分の興味が満たされることが一番楽しいし、一緒に研究をしていく人にも楽しんでもらえたらいい」という中野先生。「僕は、研究で自分にしかできないことはない、と思ってる」。ただ、残されている謎は研究者の数よりもずっと多い。だからこそ、若い人には「『何が出来るか』じゃなく、新しい分野でも自分が楽しい、してみたいと思うことに取り組んでもらいたいね」。その研究を支える土台になるのは、人間としての生活力だ。「研究者って、どういう人生になるかまるでわからない。だから、まず『生きていく』ことができるのが大事」と締めくくった。
【取材・文 生物学類3年 徳重 江美】
PROFILE
中野賢太郎准教授
(筑波大学大学院 生命環境系)
農学部出身。 小学校2年生の時、
お小遣いを貯めて買った顕微鏡で「自分の目で見えないものが見える世界」を初体験。今も顕微鏡好きで知られる。