#012 古文書・公文書から災害の記録まで グローバルスタンダードで地域の歴史をつなぐ

代表者 : 白井 哲哉  

図書館情報メディア系 白井 哲哉(しらい てつや)教授

1962年 年神奈川県生まれ
1985年 明治大学文学部 史学地理学科 卒業
1992年 明治大学大学院 文学研究科 史学専攻 単位取得退学
1995年 埼玉県教育委員会に学芸員として採用。文化財保護課、文書館、博物館、文学館の職場を歴任
2009年 筑波大学 大学院図書館情報メディア研究科 准教授
2013年より現職


アーカイブズ学と震災資料

 東日本大震災とその後の原発事故によって最も大きな被害を受けた地域の一つに福島県双葉町があります。全町民が今も避難生活を強いられていますが、一方で、震災の記録を全て残すという方針がいち早く打ち出されました。その鍵となるのが「アーカイブズ学」。この分野で日本で数少ない研究機関である筑波大学は、双葉町と共同で、復興に向けて震災資料の保全に取り組んできました。その成果が、ホームページ「福島県双葉町の東日本大震災関係資料を将来へ残す」として公開されています。
 資料の保全は単なる分類・整理ではありません。文化財の保存とも異なります。アーカイブズ学では、その資料がもともとあった場所や状態、一緒に置かれていたもの、移動経路などの情報、つまり資料の「本籍」が重要だと考えます。それによって資料の意味や役割が変わるからです。こういった属性情報と併せることで、同じものがたくさんあっても、ただ一つのものとして理解できるのです。
 日本では、近代の町村制度改革の過程で、それ以前の公文書をあえてほとんど引き継がなかったために、地域の記録が散逸してしまいました。20世紀後半に地方史の編纂事業が進む中で、欧米のアーカイブズ学の理論が取り入れられました。グローバルスタンダードと日本独自の文書管理スタイルを融合していくことが課題です。

「絆」の姿を求めて

 2013年、さいたま市に避難していた双葉町役場がいわき市に移転する際に、保全すべき震災資料が筑波大学に運び込まれました。その量は、段ボール箱でおよそ170個、現地の写真は数万点にも及びます。震災発生から現在に至る避難経過、街並みや避難所の様子、国内外から寄せられた救援や激励の物資などがあり、その形態も、文書や写真から寄せ書き・千羽鶴までさまざまです。避難所で配られていた弁当の注文書や、ボランティア活動の記録なども入っていました。

 中でも注目すべきは千羽鶴。70件もありました。いろいろな紙が使われていたり、一羽ずつメッセージが書き込まれているものもあり、送り主の思いがうかがわれます。また、震災発生直後に海外の子供たちから届いた手紙には、すでに原発事故のことが書かれており、国内では情報が錯綜し被害の全容を掴めずにいた中で、高い関心を持って被災状況が伝えられていたことが推察されます。資料を丹念に観察し、細部に示された過去の痕跡を捉える、そんな眼力と想像力も、アーカイブズ学には大切な素養です。
 当時、「絆」という言葉が盛んに使われました。しかしその具体像はどんなものだったのでしょうか。これらのメッセージを見ていくと、そういうところにまで考察が広がります。膨大な資料を保管するにはデジタル化も不可欠ですが、実物の持つ情報量は比較になりません。デジタルとアナログ、両方の情報を評価選別しながら、震災の記憶を残していきます。