#017 人の存在こそが人を癒す ~対話がクスリになる新しい精神医療を目指して~

代表者 : 斎藤 環  

医学医療系 斎藤 環(さいとう たまき)教授

1961年 岩手県生まれ
1990年 筑波大学医学専門学群環境生態学卒業医学博士

爽風会佐々木病院精神科診療部長(1987年より勤務)を経て、2013年より筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。また、青少年健康センターで「実践的ひきこもり講座」ならびに「ひきこもり家族会」を主宰。専門は思春期・青年期の精神病理、および病跡学。


「引きこもり」の実相

 学校や職場などの所属がなく自宅に閉じこもっている状態――それが「引きこもり」です。「病気」ではなく「状態」ですから、これに対する呼称もありませんでしたが、大学院生の頃に所属していた研究室では、こういった人々を数多く診ていました。そんな中で、指導教員だった稲村博助教授(当時)が、これらの状態を総称して「思春期挫折症候群」と呼び始めたことで、症状として認識されるようになりました。
 「引きこもり」という呼び方の発祥ははっきりしていませんが、1980年代にアメリカで作られた精神障害の診断基準に「Social withdrawal」という記述があり、「社会的引きこもり」と訳されていました。しかしこれも診断名ではありません。ホームレスや家庭内暴力などと同様、医学の対象との線引きが曖昧な、社会不適応な状態という位置づけです。
 引きこもりの大半は、不登校だった子供が進学も就職もせず、そのまま同じ生活を続けるケースです。現代社会では異質な人々と捉えられるものの、戦前の日本文学の中には、今でいう「ニート」のような人や、結婚前には親族以外とはほとんど接触しない女性などが、違和感なく描かれています。日本には、社会参加をしないライフスタイルを、ある程度受け入れる文化的土壌があるのかもしれません。

治療の可能性

 社会と関わらないというだけで、何らかの治療が必要でしょうか。本人も自分は病気だとは思っていない場合がほとんどです。しかし自然治癒が起こりにくく、放置すれば長期化すること、それに伴って、生活習慣病やうつ病など、健康に悪影響を招くことは実証されています。ただ、孤立した生活の中で、偉大な発明・発見や優れた創作活動をする人もいますから、引きこもりを悪あるいは異常と、短絡的に言い切ることはできません。
 しかしながら、本人がなんとかしたいと思えば、治療や支援は可能です。その時に最も有効なのは対話。医師だけでなく、同じような経験をした人たちとの対話も重要です。本人の問題意識の乏しさや家族関係のトラブルなど、共通した課題を含んでいることから、依存症の治療に用いられるグループセラピーのようなスタイルをとることもあります。

サブカルチャーから思春期を捉える

 昨今は中高年の引きこもりも問題視されていますが、その多くは思春期に発端があります。思春期を理解しようと、若者文化の観察・批評もしています。特に注目しているのが「オタク」と「ヤンキー」。どちらも、何かと揶揄されがちではありますが、現代の日本社会を語る上では欠かせないキーワードです。
 今や「クールジャパン」として世界中で人気のアニメやゲームも、オタク文化の蓄積によって生まれました。ただ、そこに登場するキャラクターに疑似的恋愛感情を抱くというのが、オタクの特徴の一つです。現実離れした無垢なキャラクターが生まれる背景を探っていくと、それらを欲望の対象として扱うのは、思春期の倒錯したセクシュアリティに特有の、特殊な才能だと考えることができます。
 ヤンキーというと「不良」をイメージするかもしれませんが、彼らの中にはタテ社会的なルールや行動主義といったある種の「軸」があります。筋を通す、家族を大切にするなどの価値観は、地域の活性化や災害時の復興支援活動においては大いに役立っています。一方、そのような仲間意識の強い集団内でうまくいかなくなると、アイデンティティを見失い、心のバランスを崩す傾向が強くなります。また、とにかく体を動かすことを重視するため、知識を得て深く考えることや、いわゆる格調の高い文化を否定してしまいます。このような考え方は通常、経済的に下層の社会でのみ通用するものですが、日本では、芸能界や政界を始めあらゆる階層に広がっていて、他の価値観との対立が生まれやすくなっています。

対話が持つ優れた治癒力「オープンダイアローグ」

 精神医学は最近まで、疾患の原因は脳にあり、薬で治療する、という内科的モデルで捉えられてきました。しかしこれには限界が見えています。脳に問題がなくても、人間関係や生活環境によって精神を病んでしまうことはしばしばあります。周囲との対話が断絶し、一人の世界に入り込んでしまうと、症状はこじれていきます。引きこもりは、その典型なのです。
 ということは、治療のカギは対話を開くこと。患者との信頼関係を築くだけで、かなりの改善がみられるようになります。「人薬(ひとぐすり)」という言葉がある通り、結局、人を癒すことができるのは人の存在。むしろ、薬や精神療法だけで同じような効果を得ようとしても、簡単にはいかないでしょう。関わることが毒になってしまう人もいますが、それは即ち、人が人に変化をもたらすことができるという証明です。
 そこで目下、取り組んでいるのが「オープンダイアローグ」という手法です。フィンランドで開発された、統合失調症のための画期的な治療方法で、医師と患者だけでなく、医療者のチーム、患者、家族がともに対話し、そこで生じる相互作用によって自然に治癒が起こります。これを引きこもりなどの社会不適応状態の治療・支援に応用しようとしています。実際に臨床現場に取り入れてみて、その効果に手応えを感じています。


新しい精神医療に向けて

 SNSなどが普及し、外へ出ることなく交友範囲を広げることが容易になりました。反面、相手への気配りが先に立ち、正直に気持ちを吐露することを難しくもしています。やはり、人と人とが直接対話することに意義があります。オープンダイアローグは、医療機関や特別な施設でなくても、一定の知識とスキルを持ったファシリテーターがいれば実施できるので、コミュニティの中で精神を癒す支援を広げていくことが可能です。
 精神科医になって診療を始めた頃、精神疾患のある人も自分とそれほど変わらないことに気付きました。だからこそ、精神医学の中では周辺領域とされる、社会不適応状態にきちんと向き合う必要があるのです。大学に研究室を構えたことで、研究や診療活動の幅がさらに広がりました。この環境を生かして、オープンダイアローグの手法を確立し、そこに携わる人材の育成を進め、日本に定着させることが、臨床家としてのライフワークです。