数理物質系 守友 浩(もりとも ゆたか)教授
東京大学理科一類に入学、工学部材料学科で学ぶも工学部になじめず、大学院理学研究科物理学専攻に進学し、理学博士を取得。日本学術振興会特別研究員、名古屋大学大学院工学研究科助教授等を経て、2005年より現職。一貫して強相関酸化物の構造物性や物性開拓研究に取り組む。本学着任後は、物性実験家の視点からエネルギー物質科学の開拓に注力。エネルギー物質科学の深化と革新的デバイスの提案・実証を目指す。
不思議な構造の「プルシアンブルー」
「プルシアンブルー」はその名の通り、濃青色の顔料です。300年ほど前にドイツで発見され、以来、絵画や陶磁器の彩色に使われてきました。日本でも、伊藤若冲や葛飾北斎など江戸時代に活躍した画家たちが使い始め、その美しい青色が評判になったと言われています。
このプルシアンブルーが科学的に注目されるようになったのは、ここ数十年ほどのこと。特異な結晶構造が明らかになり、機能材料としての様々な可能性を示唆されたのです。それは、鉄イオンがシアノ基で立体的な格子状につながれた、ジャングルジムのような構造でした。さらに、鉄イオンの価数を変えたり、鉄を他の金属に置き換えるなど、組成を変化させた類似体にすると、磁性材料や電子材料としての性質が現れます。
それらの新たに見出された可能性のひとつが、蓄電池の電極としての用途です。ジャングルジム構造の中の空間に、ナトリウムイオンやリチウムイオンを充填・放出することによって、電池として機能します。汎用的な電極材料ではありませんが、プルシアンブルーは構造がはっきりわかっていて、電池特性の発現メカニズムもシンプルですから、研究対象には最適です。より良い電池特性を得るために、材料としての基本的な性質(物性)をきちんと特定しようと、研究を進めています。
電池を学術的に突き詰める
リチウムイオン二次電池(蓄電池)は、充電時間や電池容量、耐用年数などに優れ、モバイル機器から電気自動車まで幅広く普及しています。しかしながら、急速な産業化の一方で、充放電現象の基本的な理論や仕組みの解明は遅れています。性能向上や小型化・低コスト化のための開発競争が激化する中、結果的に求められるスペックは得られていても、それは経験則よるところが大きいのです。
大学の研究者としてやるべきことは、材料の持つ物性を突き詰めて理解し、様々な性能が発現する理由を明らかにすることです。そうすれば、望む性能に到達するための道筋も、理論的な限界も、自ずと見えてきます。電池に対する要求レベルはこれからますます高まりますから、結局はこういったアプローチが不可欠になるはずです。
プルシアンブルーを電池材料として研究する例は多くはありません。しかし実用化を目指すというよりも、電池を学術的に捉えるにはむしろわかりやすい材料として、電池特性とそのメカニズムを詳細に探るためのいろいろな実験を行うことが可能です。実際に、新しい知見が着実に蓄積されつつあります。
電池を超える新技術へ
すでに大きな市場のある電池の研究は、産業界のニーズに沿った形で目標が定まっていきがちです。研究しやすいとも言えますが、オリジナリティを発揮するには物足りなさもあります。そこで、全く新しいエネルギー供給の概念の提案も試みています。それが「熱発電」という技術です。数年前から温めていたアイデアを実験に移し、実現可能であることを示して、つい最近、発表しました。
熱発電は、電池の正極と負極の温度差(熱エネルギー)を電気エネルギーに変換して起電力を得るというものです。蓄電池には充電が必要ですが、熱発電では電極の間に温度差があるだけで発電が起こります。この温度差も、室温付近で数度の違い、つまり、工場の廃熱や太陽熱、さらには体温などでも十分。特別な環境や装置を用意しなくても電力が得られ、既存の電池技術を活用できるため、開発コストもそれほどかかりません。発電所の代わりとはいかないまでも、災害時や緊急用のポータブル発電機などにも使える画期的な技術です。
この研究でも、電極材料に用いたのはプルシアンブルー。熱発電材料としても有望であることだけでなく、より大きな熱起電力を得るための鍵となる物性や条件もわかってきました。越えるべきハードルはまだまだたくさんありますが、基本的な概念さえしっかり構築することができれば、この研究を出発点として、実用化に向けた研究開発が一気に進むと期待されます。
クールに粘り強く
実はこの熱発電の研究は、発案してからしばらくの間、放置されていたテーマでした。当初、すぐに実験にとりかかり、考え方が間違っていないことは確かめました。しかしその時に得られたデータは、思ったほど良い数値ではありませんでした。どんなデータをどんな方法で調べるのが適切なのか、わからなかったのです。試行錯誤はしたものの、同じ実験でも、やるたびに違う結果が出るなど、研究を続けていく見通しが立ちませんでした。
考えてみればこれは当然のことです。前例のないテーマなのですから参考になる資料も存在しません。しかも、熱というのはそもそも精密に測定することが難しいものです。数年経って、綿密に設計した測定装置を使って、再び実験にチャレンジしたところ、最初のデータよりも格段に良い数値が安定して得られ、研究は前進しました。
このような挫折と再開の繰り返しが研究のスタイル。行き詰まった時はいつまでも悩まずに一旦中断する、その見極めはとてもクールです。でももちろん、諦めるわけではありません。他のテーマに取り組みながら、気持ちと知識をリフレッシュし、再開のタイミングを待ちます。アイデアに自信があるからこそ、そうやって粘り強く探求し続けることができるのです。
データにこだわり、論文にこだわる
物理学者として最も関心があるのは、材料の物性です。実用的かどうかではなく、新しい物性そのものが興味の対象ですから、あらゆる材料が研究テーマになり得ます。プルシアンブルーの特殊な構造と物性の面白さに惹かれて、電池の研究を始めましたが、電池特性も、あくまでも物性のひとつとして捉えています。
物性というのは数値で表すことができ、かつ再現性があること、すなわちデータの信頼性がなによりも重要です。研究室の学生に対しても、データを確定させることを、まず指導します。これは研究という営みの基本であり、研究成果としての論文を書く上での根拠となるものです。
ですから、論文を書くことにもこだわります。データが確定でき、それに基づいて論理的な考察が展開できた証しが論文であり、それこそが研究の価値です。データを積み重ねて材料の物性を徹底的に理解し、応用の可能性や開発の指針を与える基本原理を提案する研究が、次の革新技術の拠り所を築きます。