研究の背景
物性物理学のひとつの大きな目標はいろいろな物質を分類したり区別したりすることですが、2016年のノーベル物理学賞の対象となったトポロジカル物質とは、観測できて区別に役立つような特徴をほとんど持たない物質です。その多くは「打てども響かず」で、外界からの微小な刺激に応答しません。物質が無限に大きくてどこまでも続いていれば(これをバルクと呼びます)、目立つ特徴がない「真空」のような状態です。
ところが実際の物質には必ず表面、境界や不純物が存在します。普通の見方では、境界、端(エッジ)などは余分な要素で、系が十分に大きければ無視できると考えます。ところがトポロジカル物質では、境界や不純物があるとその近くに新しい状態が現れます。無視できるどころか、この境界に生まれた局在状態(エッジ状態と呼びます)がトポロジカル物質を特徴づけるのです。何もない「真空」は実験で観測不可能ですが、このエッジ状態は実験で直接観測できます。実際、トポロジカル絶縁体の角度分解光電子分光実験(ARPES)で、この表面状態が観測されたことが近年のトポロジカル物質の急速な研究展開の大きな一因です。実験事実に立脚する自然科学である物理学においてはとても重要な出来事でした。
トポロジカル物質のバルクな「真空」は実験では直接に観測できませんが、理論的には、ある不連続な値しかとらない(量子化した)トポロジカル数を計算することで0と1が異なるように「真空」を区別できます。この0か1かが、境界があるときのエッジ状態の有無と直接対応するのです。いわば切る前に、切った後で生じるエッジ状態の様子をトポロジカル数の計算から予言できるのです。これが「バルク・エッジ対応」です。
研究の成果
量子ホール効果はトポロジカル物質の母体である基本現象ですが、この系においてバルクのトポロジカル数であるTKNN数(Thouless-Kohmoto-Nightingale-den Nijs数)とエッジ状態との関係を定式化し、「バルク・エッジ対応」として明らかにしました。今日では、バルク・エッジ対応はトポロジカル物質の基本特性であると考えられています。また、私たちは一般のトポロジカル物質に対するトポロジカル数の数値的な計算手法を提案し、これも広く使われています。
近年では、冷却原子系で2015年に実験的に実現されたトポロジカルポンプにおけるエッジ状態の意義を、バルク・エッジ対応の観点から初めて明らかにしました。
今後の展望
近年、バルク・エッジ対応が適用できる系は必ずしも量子系に限らず、古典電磁場の系であるフォトニック結晶や連成振動子やフォノンなど古典力学系も含んでおり、とても広範囲であることが明らかになりつつありま
す。光ファイバー中の情報伝送にトポロジカルな起源を持つ光のエッジ状態を用いる可能性など、バルク・エッジ対応の潜在的な工学的重要性も少なくありません。
局在状態は古典的な「粒子」であって、量子的なバルクの「波動」に対する「真空」とは不可分で、その相互関係がバルク・エッジ対応であるともいえます。この原理的な観点に立ち、いろいろな現象がバルク・エッジ対応の視点からいかに普遍的に理解できるかを追究し、さらにその数学的、工学的な意義に関しても明らかにしたいと考えています。