生存ダイナミクス研究センター(TARA) 島田 裕子 助教
生物学、特に遺伝学の発展には、ショウジョウバエを用いた研究が大きく貢献してきました。ショウジョウバエは、卵から成虫になるまで10日間と短い上に、飼育が簡単でスペースも取らないなど、実験動物に適しています。分子生物学が登場したことで、生物の発生や行動を支配する遺伝子の機能に関する研究が加速し、ハエのみならず、マウスやヒトにも共通する遺伝プログラムの理解が進みました。
(実体顕微鏡下で観察しながら幼虫を解剖し、調べたい器官を取り出す。
ショウジョウバエは美しいとつくづく思う)
子供の頃から「なんでこんなに違う形の昆虫がたくさんいるのだろう、しかもその1つひとつにいったい誰が名前をつけたんだろう?」と不思議に思っていた島田さんは、大学では昆虫に関係する研究をしたいと決めていました。そこで出合ったのが、ショウジョウバエを用いた発生遺伝学の研究でした。卵から孵化した幼虫は餌に潜り込んで摂食し続け、2回の脱皮を経て蛹となり、成虫になります。1齢幼虫から蛹になるまでの約4日間で体重は200倍にもなります。その間、幼虫の体内では、各組織の成長を促進する消化・代謝活動と、やがて成虫になる準備が行われています。それらの生命活動全体を協調的に操っているのがステロイドホルモンです。このホルモンが、栄養に応答して適切なタイミングで生合成されることで、幼虫は脱皮・変態を経て成虫になれるのです。栄養摂取に伴って幼虫の体内ではどのタイミングでホルモン生合成が誘導されるのか、成熟を司るシグナル伝達経路はどうなっているかの解明が、島田さんの研究テーマです。発生学の分野の中で、発生の時間軸に沿ったタイミング調節機構は、まだわかっていないことが多く残されているそうです。島田さんたちは、ショウジョウバエ研究の成果によってこの分野を先導していけるのではないかと期待しています。
人とは違い、ショウジョウバエの幼虫は食べ過ぎることがないそうです。必要な栄養を満たした段階で餌から離れ、蛹になる準備をします。島田さんたちは、その仕組み、摂食行動によって味覚神経が刺激され、その信号が食道下神経節という摂食中枢に伝わる仕組みの解明を目指しています。その手掛かりとして、摂食中枢と連絡し、ホルモン生合成器官(前胸腺)や胃腸に伸びている神経経路を新たに発見しました。それらの神経は、セロトニンという神経伝達物質を分泌していて、その神経機能を阻害すると、脱皮ホルモン生合成のタイミングが遅れます。さらにそのセロトニン神経は、幼虫の栄養状態が悪いと、前胸腺にきちんと連絡できないこともわかりました。その際には、脱皮ホルモンの生合成が遅れ、蛹になるタイミングも遅れます。セロトニンは、各種動物で様々な機能を担う物質ですが、ステロイドホルモン生合成に作用するというのは、世界初の発見でした。しかも、栄養状態に応じてセロトニン神経の連絡パターンが変化するというのも画期的な発見です。
昆虫の脱皮・変態で重要なステロイドホルモンは、「脱皮ホルモン」とも呼ばれるエクジステロイドです。前胸腺という内分泌器官において、コレステロールを原材料として、いくつかの生合成酵素が介在することで生合成されます。エクジステロイド生合成酵素をコード(指定)している遺伝子は、これまでに10種類近く同定されており、お化けや幽霊にちなんだ名前が付けられているため「ハロウィーン遺伝子群」と総称されています。島田さんは、夫で共同研究者でもある丹羽隆介准教授らの研究グループの一員として、ハロウィーン遺伝子群の機能解析も行ってきました。近年、そのハロウィーン遺伝子の1つであるスプーキア遺伝子のスイッチをオンにする転写因子をコードするウィジャボード遺伝子の機能解析を行いました。「スプーキア」とは「お化けのような」という意味です。ウィジャボードというのは、西洋の降霊術遊び用の文字盤の名前です。「ウィジャボード」遺伝子は「お化け(スプーキア)」遺伝子を呼び出す役割を担っていることから、この名前を選びました。この分野の研究では、そういう遊び心を楽しむ伝統があります。
2017年5月からは独立した研究室を構え、ますます研究に邁進しています。家庭でも、研究のことで思いついたことがあると、丹羽さんとすぐに話し合える生活は願ってもない環境です。もちろん、サッカー少年である10歳の息子さんとのオフの時間も大切にしています。ただ1つの不満は、息子さんが昆虫に全く興味を示さないことだとか。その分、ショウジョウバエの研究に集中しています。
(「ウィジャボード」遺伝子は、キイロショウジョウバエの脱皮ホルモンを生成する酵素スプーキアの遺伝子のスイッチをオンにする)