#101:今こそスポーツで国際貢献を

代表者 : 山口 拓  

エイズ予防のための啓発を目的として、2001年にザンビアで始まった「キッキング・エイズ・アウト」というネットワーク化された取り組みがあります。現在は、世界各地に広がり、エイズが深刻な社会問題となっている開発途上国を中心にそれぞれ工夫を凝らした取り組みが行われています。従来のエイズ予防啓発では、啓発講習会を開いて予防具を配布するまでに留まりますが、この取組みでは、サッカーのリーグポイントにエイズ予防啓発活動への貢献度を反映させることで選手や地域住民のエイズ理解を高めるなど、風土や組織体制に応じた形態に変化させながら、スポーツ実施の場に啓発活動を組み入れています。

山口さんは、学部で体育学を学び、卒業後に教育系出版社に勤めた後、スポーツコーディネーターとして起業しました。その後、海外での活動を経て、「スポーツを通じた開発」を支援するNGO Hearts of Goldの活動に身を投じました。その中で長年携わったのが、カンボジアでの体育支援活動です。カンボジアは、ポル・ポト政権下で多くの人命と学術・行政資料が抹殺されたことで、教育制度の整備が進められていました。しかし、教科体育の整備は遅れ、全国的にラジオ体操に似たクメール体操が授業として行われるまでに留まっていました。山口さんは、カンボジア国内の体育支援やスポーツ振興に10年あまり従事し、筑波大学への着任後も続けてきました。それらの功績が認められ、2016年12月には「科学技術分野における発明・発見,学術及びスポーツ・芸術分野の優れた業績ならびに貢献した人材・組織」に授与されるカンボジア王国モニサラポン勲章の最高位となる大十字章(Knight Grand Cross)を国王から授与されました。

(カンボジア教育省で行われたモニサラボン十字勲章授与式にて、教育大臣との
 記念写真。)

こうした活動を続ける中で山口さんは、文化としてのスポーツのあり方について考えるようになったといいます。たとえば前述のクメール体操について、カンボジアの人たちは、自国で開発された体操であると信じて疑いませんでした。しかし、実際には、旧宗主国であるフランスによって導入されたものなのです。ユネスコの「体育・身体活動・スポーツに関する国際憲章」(2015)には、既存のスポーツのみならず、伝統的なダンスを含む体育・身体活動(physical activity)の実施は基本的人権であると謳っています。この文脈からいえば、セパタクローが盛んな地域に外からサッカーを導入し、その人材育成だけを進めることの是非も考えねばなりません。現場で活動していた山口さんは、そうした葛藤から人類学的な視点に目覚めたといいます。そこで現在は、カンボジア王国青少年スポーツ教育省の体育スポーツ総局長アドバイザーを務める一方で、カンボジアに海外から導入された体育やスポーツが、どのように地域文化に取り込まれたかを研究しています。

スポーツと土着文化との関係性の見直しは、他国の開発援助に限りません。たとえば日本では、かつて、小学校の運動会が地域の一大イベントだった時代があり、少年少女野球では、地域の大人がボランティアでコーチや運営役を担っていました。地域で行われるそうした社会体育には、人と人をつなぐ重要な機能があり、これらは日本の文化の一部として息づいていました。山口さんは、地域社会の崩壊が問題視され始めた今の日本でこそ、そうした慣習を見直し、意識的に活用していく必要があると考えています。

スポーツには、人と人、人と社会、地方と世界をつなぐ力があります。その力を有効活用するには、それをプロデュースし、マネージメントできる人材が必要です。筑波大学、鹿屋体育大学、日本スポーツ振興センターが共同で設置した「スポーツ国際開発学共同専攻」は、スポーツを通して国際開発と平和に貢献できる人材を育成する教育プログラムを構築しています。学部生の体育史・スポーツ人類学を担当する山口さんのゼミには、体育専門学群の学生のみならず、国際総合学類で文化・社会開発を学ぶ学生も参加しています。学群・専攻の両ゼミからは、「アフリカのプロサッカーリーグに参加して、プレーをしながら国際開発学の研究を行う学生」や「難民キャンプで活動し、現場で学んだ後に専門職に就く学生」まで出ているそうです。大学教員として、東京オリンピック招致の看板として立ち上げた国際貢献事業スポーツ・フォー・トゥモローを打ち上げ花火で終わらせないための永続的な取り組みに貢献することこそが重要だと、山口さんは未来を見据えています。

(カンボジアの小学校で実施した「障がい者理解を進める体育」の授業風景。JICAの短期ボランティア派遣の一環として筑波大学体育専門学群の学生が参加している。写真は実施方法を説明しているところ。)