芸術系 小山 慎一(こやま しんいち)教授
早稲田大学大学院文学研究科修士課程心理学専攻を修了後、ボストン大学(Boston University)心理学部博士課程修了。Ph.D.(心理学)。ハーバード大学医学部付属マサチューセッツ総合病院NMRセンター研究員、日本学術振興会特別研究員(PD)、昭和大学医学部神経内科普通研究生、千葉大学大学院工学研究科助教・准教授等を経て、2017年4月より現職。心理物理学と呼ばれる感覚を定量的に測定する手法を、デザインやリハビリに応用する研究を進めている。
「心地よさ」の正体を探る
人の顔に水玉模様を配した画像を見ると、なんとなく違和感を覚えます。人によっては「気持ち悪い」と感じることもあります。このような画像の加工が「ハスコラ」。ハスの切り口のような水玉模様を使ったコラージュのことです。
ハスコラに限らず、ブツブツ模様や縞模様など特定のパターンを苦手に感じたり、逆に強く惹かれてしまう、つまりある種の「敏感さ」をもつ人は結構いるものです。そういった模様がモチーフの芸術作品もたくさんあり、気持ち悪さを感じながらも美しいと思って鑑賞することもしばしばです。一方で、横断歩道を渡れないほどしま模様を不快に感じたり、陽の光やネオンサインが眩しすぎて外出できない、という人もいます。そうなると、日々の暮らし自体が困難になりますから、これは単に、人間の感覚は不思議なもの、では済ませられない問題です。
心地よさや美しさに対する感性は、経験や知識によって培われる側面があるため、個人差が大きいものですが、違和感や苦手意識は、誰もが共通して感じる感覚であるにもかかわらず、言葉で説明しにくいものです。目で見たもの、視覚情報に対して心地よさ・気持ち悪さを感じるメカニズムを、脳科学や心理学、さらには空間デザインなど、様々な方向から解明しようとする研究プロジェクトが進んでいます。
「気持ち悪さ」の定量化
ハスコラ画像に対する気持ち悪さの原因は何でしょうか。それが水玉模様にあるとすれば、水玉の数や大きさによって、気持ち悪さの程度が変化するはずです。気持ち悪さは、不快に感じた時間の長さや、心拍数などで定量化したり、基準となる気持ち悪さを設定し、それと比べた感じ方の強さで測ることもできます。このような、気持ちの変化を数値的に理解しようとするのが、心理物理学のアプローチです。
そうして実験してみると、同じ面積でも水玉がたくさんあるほど、気持ち悪さが増すことがわかりました。また、顔に水玉模様をはりつけた画像では、上下を逆さにすると、それほど気持ち悪さを感じなくなることも発見しました。
その理由として、二つの仮説が考えられます。一つは、水玉の大きさや密度に対して、脳が何らかの規則性に基づいて反応している、つまり脳の機能として、そのような感じ方がプログラムされているということ。もう一つは、生物としての防衛反応のようなものです。人の顔にあるブツブツ模様は、感染症などの病気を想起させるため、本能的・経験的に避けようとする行動につながりますが、上下が逆になると、人の顔として認知しにくくなり不快感も減る、という理屈です。ここでは、水玉が「生存上の危険」という意味を持つことになります。
脳波から「敏感さ」を読み取る
脳のある部分が損傷すると、人の顔や文字などがわからなくなることがあります。特定の形や光に対して快・不快を感じるというのも、脳内の情報処理になんらかの過剰な反応があり、それが「敏感さ」を左右すると捉えることができます。
この敏感さには、生まれつき持っている部分と、訓練によって獲得する部分があります。例えば先述の、しま模様や光が苦手な症状は、片頭痛を持っている女性に多く、偏頭痛も遺伝している傾向があります。この場合は、生まれつきの敏感さと考えられます。一方で、芸術などの創作活動をする人は、次第に細部にまでこだわるようになり、ちょっとした違いがとても気になったりします。これは訓練により得た敏感さといえるでしょう。
ところが、こういった敏感さに苦しんでいる人の脳波を調べてみても、明らかな異変は見られません。本人はとても辛そうにしているので、劇的な違いがありそうなものですが、脳波を目で見ただけでは特に異常は見つかりません。視覚情報を取り込み、それを脳が処理し、感覚として現れるまでのプロセスは、極めて微弱なものなのかもしれませんし、意外な部位で反応が起こっていることもあり得ます。まだまだ研究の余地がありそうです。
敏感と鈍感の間
研究を始めたきっかけは、視覚から得た情報を私たちはどのように理解しているか、という根本的な疑問でした。そこには、いろいろなタイプの敏感さを訴える患者さんに出会った臨床体験もありました。心理学を起点に、気持ち悪さや美しさを感じる仕組みや、文字情報がよりよく伝わるパッケージデザインなどへと、研究テーマは広がっています。
ハスコラを気持ち悪いと感じる人は比較的多いとはいえ、何とも思わない人ももちろんいます。光の眩しさを著しく辛く感じる人でも、他の刺激にはほとんど反応しないことも珍しくありません。その時の精神状態や周囲の環境によっても、感じ方は変わります。また、気持ち悪さと気持ち良さは必ずしも相対するものではなく、いわゆる「キモかわいい」のような、中間的な感覚も確かに存在することがわかっています。敏感さと鈍感さは共存しており、別々に捉えるのは難しい。この分野の研究にはそのような複雑さ・難しさがあり、それが面白いとも言えます。
ユニバーサルデザインの先へ
敏感さの違いは、他人には理解し難いものですし、障害としても認められにくいのが現状です。大多数の人にとってはなんでもない情報や環境が、一部の人を苦しめているというとき、みんなが同じ空間で過ごすための工夫は可能なのでしょうか。
例えば、光に敏感な人のために、空間全体の明るさを落とすと、今度は視力の弱い人が困ります。かといって、空間を分けてしまうのも適切ではないでしょう。苦手な刺激を取り除くよりも、好きな刺激を積極的に提供する方が、当事者にとってはハッピーかもしれません。心地よさの基準は人それぞれ。障害のある人と共に暮らす社会に向けて、ユニバーサルデザインという考え方が広がっていますが、そこに敏感さも共生できるようにするには、これまでの概念を越えた空間デザインや、個別の対応策の在り方を考えることも重要です。
敏感さや気持ち悪さを生じるメカニズムを科学的に解明し、薬やリハビリなどによる治療方法を見つけること、現に困っている人への支援を検討すること、どちらも研究成果を社会に還元する道。様々な分野が協働し、両者を並行して進めていかなくてはなりません。異分野融合研究の結晶が、誰もが心地よく過ごせる環境を導いてくれるはずです。
日本学術振興会 先導的人文学・社会科学研究推進事業(領域開拓プログラム)
脳機能亢進の神経心理学によって推進する「共生」人文社会科学の開拓
このプロジェクトでは3つのフェーズを循環することによって研究を推進している。フェーズ1では若年者と認知症/脳損傷患者を対象に、各種敏感さを引き起こす要因の特定と、脳が敏感に反応するメカニズムの解明を行なう。フェーズ2では日常生活において敏感さが引き起こす問題について、フェーズ1の成果に基づいて分析する。フェーズ3ではフェーズ2の成果に基づいて、敏感な人もそうでない人も住みやすい住環境の提案と検証を行なう。