#012:目くるめく生命の多様性に挑む

代表者 : 出川 洋介  

生命環境系 出川 洋介 助教

 

子供のころ体が弱くて学校を休みがちだった出川さんの楽しみは,キノコの図鑑を見ることでした。自宅の庭や近くの公園でキノコなどの小さな生き物も探しました。もちろん,図鑑で目を引く色とりどりのキノコが近所で見つかることはありませんでした。それでも,形や色も生態も不思議な粘菌(変形菌)やダンゴムシを見つけて観察していたそうです。中学生になると,とくに変形菌の研究にのめり込み,日本変形菌研究会に参加するようになりました。あとは菌類学者目指してまっしぐら。大学は,菌学を学ぶならここしかないと,迷うことなく筑波大学を選びました。

学群4年時の卒業研究から大学院生時代は長野県上田市郊外にある筑波大学菅平高原実験センターで研究に専心しました。菅平高原は菌類の宝庫です。キノコはもちろん,さまざまな種類のカビが,発見されるのを待っているのです。おまけに同センターには節足動物学,植物学,生態学などを研究する筋金入りのナチュラリストがそろっています。そうしたスタッフから,こんなカビが虫に生えていたという情報がたびたびもたらされます。コムシという原始的な形態を今にとどめる節足動物に付着する新種のカビ(Myconymphaea yatsukahoi)も見つかっています。出川さんが博士論文の研究に選んだのも節足動物に生えるカビでした。それも,少年時代に夢中になったあのダンゴムシの死骸に生えるクサレケカビという菌です。

(写真左上)ワラジムシの死骸に生えたクサレケカビの1種。(拡大
(写真左下)胞子嚢の首飾りがチャームポイント。 (拡大

 
(左)セミの抜け殻に生えたクサレケカビの1種。(拡大
(右)ヤスデの死骸に生えたクサレケカビの1種。(拡大

珍菌エニグマトミケスの正体。(拡大)

(1)アヤトビムシの1種。(2)(3)アヤトビムシの精包。頭頂のゼリー状の部分に糸状の精子が浮遊している。(4)精包中から伸長した若い菌体。(5)成熟した菌体。菌の柄のように見える部分は,実際には精包の柄。エニグマトミケスの菌体(黒矢印)がアヤトビムシの精包の柄(白矢印)にからみついている。(6)成熟した接合胞子。右に伸びた短い柄で菌体とつながっている。

箱根の入り口にある神奈川県立生命の星・地球博物館の学芸員時代に行った新発見も,いささか因縁めいています。箱根の森から持ち帰った土から生えてきた菌を調べたところ,1993年にカナダの森だけで見つかったものの,その正体がわからないまま,「謎(エニグマ)の菌類(ミケス)」という意味のエニグマトミケスAenigmatomycesという学名がつけられている種類であることがわかりました。出川さんは,この謎を解明すべく,さらに観察を続けました。すると奇妙なことがわかりました。菌類は,自分では栄養を作り出せません。有機物を分解して栄養を取るしかないのです。多くの菌類は,分解する相手が特殊化しています。例えばクサレケカビはダンゴムシとその仲間の死骸に特化しているように。

このエニグマトミケスは,なんと,やはり原始的な節足動物であるアヤトビムシの,それも精包に寄生するカビだったのです。精包というのは,トビムシの雄が,自分の精子をゼリーでくるみ,それを柄の上に乗せて枯葉の上に立てたものです。そうやって,通りかかった雌が見つけて体内に取り込み,受精してくれるのを待つのです。エニグマトミケスは,利用されなかった精包というおこぼれを頂戴していたのです。これで,1つの謎(エニグマ)が解けました。トビムシの行動も奇妙ですが,そこに付け入っているエニグマトミケスの生活史も珍妙です。出川さんの研究により,エニグマトミケスは,日本菌学会若手の会が2013年に創設した「日本珍菌賞」の第1回受賞対象に選ばれました。

   
 

 2009年から菅平高原実験センターに戻った出川さんは,水を得た魚のように,珍奇な菌類の研究に邁進しています。最近のヒットは,カマドウマやゲジと菌類との奇妙な関係を見つけたことです。これまで生活史が解明されていなかった菌が,そうした動物の体内を通過することで世代交代を果たしている奇妙な「共生関係?」が見えてきたのです。世界には150万種の菌類がいると推定されていますが,名前がついているのは10万種ほどだけです。日本で見つかっているのはわずか1万5000種のみです。菌類は,地球生態系のエネルギー循環で重要な働きをしています。菅平高原実験センターでは,とりあえずセンター周辺に生息する生物の多様性を網羅する一環として,菅平菌類インベントリー調査を行っています。一般には嫌われもののカビですが,カビを知ることは地球を知ることにもつながると,出川さんは熱く語ります。