坂本和一 准教授
現在、日本人の平均寿命-健康寿命*1は男性で81-72歳、女性で87-75歳(平成28年厚生労働省調べ) と、高齢化が進んでいます。多くの人が長生きする社会においては、いかに健康寿命を延ばし、イキイキとした生活を送れるかどうかが重要となってきます。老化の進行を抑え、寿命を伸ばすには、どのようなことができるのでしょうか? 今回は、抗老化や抗生活習慣病に働く機能物質の探索や長寿遺伝子の解析を主に行っている坂本和一准教授にお話を聞きました。
*1健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間のこと。
1. 長寿遺伝子を活性化するには?
カロリー制限をすると、同じものを食べていても、ヒトの外見や、寿命に影響を及ぼすことは、サルなどの動物で明らかにされています。カロリー制限によって物質代謝が変化し、体内物質(NAD*2等)のバランスが変化します。このとき活性化される遺伝子が、長寿に強く関連しているとされており、脂質代謝の促進や、肝機能の向上、インシュリンの感受性を上げ、糖尿病を抑制するなどといった健康増進の効果が現れます。
しかしながら、カロリー制限を実際に行うのは辛く、現実的ではありません。そこで、坂本先生の研究室では、他に、健康長寿を促進する方法はないだろうか? ということを一つのキーワードとして研究を進めています。
*2補酵素の一種で、酸化還元酵素と結合して働く基質から水素原子を受け取り、水素伝達の役割を果たす。
2. 健康長寿を促す機能性物質の探求
坂本先生が健康長寿に強い関連を持つとして、着目しているのが、食品に含まれる微生物や植物から得られる機能性物質、特にファイトケミカル*3です。
住む国が違えば、当然食生活も異なります。例えば、日本人とフランス人を比べると、あるパラドクスが存在することがわかります。日本人は古くから米食中心の高炭水化物、低タンパク、塩分の高い食事をとってきました。しかし、世界有数の健康長寿国です。一方、フランス人は脂っこいものと甘いものが大好きです。ところが、心臓や血管といった循環器系の疾患が少ないとされています。このように、一見、健康に良くないとされる食生活をしているように見えても何らかの健康増進効果を得ているというパラドクスが様々な国で見られるそうです。
日本人は、緑茶に含まれるカテキン、フランス人は、赤ワインなどに含まれるレスベラトロールの摂取量が多く、これらはいずれもファイトケミカルです。ポリフェノールやフラボノイドなどのファイトケミカルは抗老化、健康寿命に効果を発揮します。ファイトケミカルは抗酸化物質であることが多く、身体の中の炎症をうまく抑えることが、健康長寿をもたらすと言われています。坂本先生は、ファイトケミカルが、各国のパラドクスを解決する鍵となるかもしれないとおっしゃいます。ファイトケミカルとされる機能性物質は数多くあり、坂本先生の研究室では、様々なファイトケミカルのマウスや線虫に対する効果を検証しています。
*3植物などに含まれる、健康に良い影響を与えると期待される機能性の物質。
3. 線虫(C.elegans)とヒトがどのように結びつくのか
坂本先生は、元々は培養細胞を用いて実験を行っていましたが、個体に本当に作用するのか気になり、25年ほど前に、線虫を導入しました。線虫は体長1 mmほどの小さな生物で、健康寿命についての研究をするのに多くのメリットがあるそうです。なぜ、ファイトケミカルの研究に線虫が適しているのでしょうか? 坂本先生は、「線虫は意外にヒトと近いんです」とおっしゃいます。線虫は、ヒトが有する遺伝子と相同な遺伝子を多く持ち、多細胞生物で、消化器系、生殖系、筋肉、神経系などの器官構造がしっかりと揃っています。また、老化による運動性の変化が読み取りやすく、解析が比較的容易で、遺伝子操作がしやすいといったメリットもあります。さらに、マウスの寿命が3年ほどであるのに対し、線虫の寿命はおよそ1ヶ月です。そのため、比較的早くに結果を得ることができます。以上のような点から、線虫は、たくさん存在するファイトケミカルのうち効果のあるもの、また、どの遺伝子が健康機能増大や、寿命を延ばす効果をもつのか選別し、明らかにする際に非常に有効です(図1)。こうして、線虫によって明らかになったファイトケミカルを使い、様々な健康機能製品を作ることが可能です。
図1:線虫がモデル生物として適している理由
坂本先生が実際に線虫にお茶とコーヒーを飲ませたところ、ヒトで報告されているように、脂肪蓄積が減少するという綺麗な結果が得られました(図2)。ヒトに効果を示す機能性物質が、線虫にも同様に作用したのです。「簡単な実験ではありますが、人間と線虫の双方で機能性を保持する物質を調べることができました」と坂本先生。坂本先生は、線虫に効く物質はヒトにも効果的であるとにらみ、他の様々なファイトケミカルについて実験を行っています。
図2:線虫にお茶を飲ませた実験結果
4. 食品や化粧品に限らない! 基礎研究から応用へ
坂本先生は、基礎研究のみに留まらず、応用研究まで幅広い研究を行っています。研究室の中に企業の研究室が入り、共同研究を行う特別研究事業にも取り組んでいるそうです。その応用範囲は、ファイトケミカル等を用いた機能性食品や化粧品、薬品の開発はもちろん、なんとハウジングメーカー、自動車メーカー、工学分野にまで及んでいます。
食品は、実際に体へと取り込み、化粧品は肌に塗るなどして、身体に接触することによって効果を得ることができます。しかし、人間は5つの感覚器官(味覚、触覚、聴覚、視覚、嗅覚)を有しており、ある物質が生物に作用するのに、必ずしも経口摂取したり、皮膚に塗ったりと直接接触する必要はないのです。先生の研究室では、香り成分を嗅がせ、感覚神経に働きかけることで健康効果を引き出すことができるのではないかという視点からも研究を行っています。アロマを嗅ぐだけで健康寿命を伸ばすことができる日が来るかもしれないのです。現在、世間に出回っているある機能をもたらすとされている商品の中には、科学的根拠が不足しているものも少なくありません。しかし、坂本先生は基礎研究によって確かなエビデンスを得られたものを企業とともに商品化、製品化しています。
5. 謎解きの先に見えてくるもの
分子生物学は、生命現象を、分子レベルで理解することを目指しています。しかし、坂本先生は、「現象ありきで面白くなる」とおっしゃいました。基礎研究がどのような現象に繋がって行くのか意識していると、より科学が身近に感じられ、夢が広がります。線虫の研究がヒトの高齢化社会をより豊かにしてくれるかもしれないのです。
最後に、先生から学類生(あるいは未来の学類生)へのメッセージを頂戴しました。
「基礎研究はすごく楽しいんです。謎解きのようで。応用研究は、自分たちの解いた謎が実際にものになっていきます。このプロセスを見るのはとても興味深いです。是非、一緒に研究しましょう」。
【取材・構成・文 越後谷知樹(生物学類4年)】
PROFILE
坂本和一 筑波大学生命環境系准教授
筑波大学第二学群出身。分子生物学の黎明期に学生時代を過ごし、博士課程を修了した後、米国国立公衆衛生研究所の研究員となった。帰国後は大阪バイオサイエンス研究所の研究員を経て、筑波大学へと移った。高齢化社会が進行することを、世間で大きく騒がれる以前から着目して、現在の研究を始めた。自身の健康への意識も高く、最近では歌が健康にいいと考え、自ら歌って伴奏するためにギターを始めた。また、赴いた土地のお茶を集めており、研究室には、世界中の茶葉が並ぶ。
http://kazlab-sirtuin.net/