橋本哲男先生は、真核生物(*1)の起源や進化を解明するためにさまざまな研究をなさっています。今回は、真核生物の進化に関係する細胞内の器官「ミトコンドリア」の退縮、すなわち退化の研究について、お話をうかがいました。研究の背景を含め、進化の研究の最前線をご紹介します。
・ミトコンドリアがないと生きていけない
「ミトコンドリア」と聞いて何を想像しますか? 生物を学んでいる方なら、「呼吸」や「ATP産生」などの言葉が連想されると思います。ミトコンドリアは、酸素を用いて身体に必要なエネルギーを作る、いわゆる呼吸という代謝活動が行われる細胞内小器官です。息を止め続けると死んでしまうのは、ミトコンドリアに酸素が届かず、身体を動かすためのエネルギーが産生できなくなるからです。
生命活動に欠かせないミトコンドリアですが、実は最初から細胞の中にあった訳ではありません。約20億年前、我々ヒトを含む全ての真核生物の祖先が、酸素を用いてエネルギーを作る細菌を外部から取り込み、その細菌がミトコンドリアとなったのです。その名残として、ミトコンドリアには細菌由来のDNAが存在します。これをミトコンドリアDNAといい、ミトコンドリアの特徴の一つとなっています。細胞の一器官でありながら、もとは外にいた別の細菌であるミトコンドリアは、呼吸に欠かせない器官であると同時に真核生物の進化にも関わっており、研究者の興味を引き付けて止みません。
・ミトコンドリアを持たない生物がいる
1980年代の半ば、メタモナス類などを含む、ミトコンドリアを持たない真核生物の存在がクローズアップされました。先ほど真核生物はミトコンドリアがないと生きていけないと述べましたが、このような生物はいずれも酸素のないあるいは少ない環境や寄生環境に生息しており、酸素を必要としない方法でエネルギーを作るため、ミトコンドリアがなくても生きていけるようです。
多くの研究者は、このような生物について「ミトコンドリアを取り込む前段階で分かれた真核生物の祖先型に近い生物ではないか」と推測し、真核生物に共通の祖先の手がかりになるとして、ミトコンドリアを持たない生物の研究に精を出しました。そして同じく80年代の後半、分子系統解析でよく用いられるリボソームRNA遺伝子 の解析などから、研究者の推測通りミトコンドリアを持たないメタモナス類や微胞子虫類が真核生物の系統樹(*2)の根元に位置付けられました。この時に推定された系統樹の概略を図1に示します。しかし、橋本先生はこれに「疑問を覚えた」と言います。「系統樹の枝の長さが極端に長いことからこの位置づけは間違っているのでは」と思ったのです。枝の長さは、DNAの塩基配列が共通祖先からどれだけ置換したかを表します。系統樹の解析において、枝の長さが普通の系統のなかに、枝の長い、すなわち進化速度(*3)の大きい系統がまざっていると、そのような系統は系統樹の根元の近くに位置づけられやすいという傾向をもつため、実際よりも祖先に近いと判断されることがあるのです。
図1.80年代に推定された真核生物の系統樹
・ミトコンドリア関連オルガネラ(MRO)の発見
そして、橋本先生のそのご指摘は当たっていました。1990年代後半に入り、より多くの遺伝子の解析が可能になると、ミトコンドリアを持たない系統は図2のように真核生物内の様々な枝に位置し、必ずしも根元にある訳ではない、と考えられるようになりました。ただし、現在でも真核生物の系統樹の根元がどこにあるかは分かっていません。
一方、1995年、ミトコンドリアを持たないアーケアメーバ類に含まれる赤痢アメーバの核DNAから、なんとミトコンドリアではたらくCPN60(*4)の遺伝子が発見されました。
これはどのような意味を持つのでしょうか。考えられる可能性は二つ。
1、ミトコンドリアのもととなった外部の細菌からCPN60遺伝子が水平伝播(*5)した。
2、かつて細胞内に存在したミトコンドリアから赤痢アメーバの核にCPN60遺伝子が移行した。現在ミトコンドリアは退縮してしまった。
赤痢アメーバの核DNAからミトコンドリア由来の遺伝子が発見された際、同時に、二つの仮説のうち2の「ミトコンドリアが退縮した説」を裏付ける有用な発見がありました。それは、CPN60が多く発現している細胞内の「マイトソーム」という器官の発見です。マイトソームで、CPN60遺伝子から翻訳されたタンパク質が多く見られたのです。CPN60とマイトソームの関係は図3のようになります。このことから「マイトソームはミトコンドリアが退縮したもの」と推測されました。このマイトソームのようにミトコンドリアが酸素呼吸能などの機能を退縮させた結果残された構造体を「ミトコンドリア関連オルガネラ ( MRO)」といいます。通常のミトコンドリアとMROの大きな違いは、酸素呼吸に関わる重要な遺伝子を持つか否かです。通常のミトコンドリアもその遺伝子の多くを宿主の核に移行させていますが、酸素呼吸に関わる一部の遺伝子はミトコンドリア内に残したままです。しかし、MROを持つ生物では酸素呼吸に関わる遺伝子は核にもMROにも存在しません。さらに、MROの機能に重要な遺伝子は宿主の核に移行させてしまったのです。MROは、ミトコンドリアに特有なDNAを持たないけれど、宿主の核DNAへ移行した一部の遺伝子にコードされたタンパク質が運ばれることで機能します。
図2.現在受け入れられている真核生物の系統樹
(https://www.natureasia.com/ja-jp/natecolevol/interview/contents/4)
図3.マイトソームとCPN60
・ミトコンドリアが退縮したMROはどのような機能をもつか
以上を踏まえて、橋本先生を含めた筑波大の先生方が行った共同研究(Leger et al. Nature Ecology & Evolution 2017)の内容をご紹介します。先生方は、MROの機能とその進化について「メタモナス類」という真核単細胞生物のグループを用いて明らかにしようと試みました。注目したのは、「トリコモナス」と「ジアルディア」というメタモナス類に含まれる2生物種です。この2種は、両者とも寄生性(*6)の生物で、図4のように、メタモナス類の部分的な系統樹において、少し離れた関係になっており、MROの機能は図5のようにトリコモナスの方が豊富でジアルディアの方が退縮的です。退縮具合の異なる2種と、進化的にその2種の間に位置する生物の全発現遺伝子(トランスクリプトーム)を解析することで、MROの機能がどのように退縮したのか、退縮の道筋をについて新たな知見を得よう、という研究です。
図4.メタモナス類の系統樹の一部
図5.トリコモナスとジアルディアにおけるMROの機能
全18種類のメタモナス類のトランスクリプトームを比較解析することで得た結果は、
・嫌気的ATP合成能は、図4のジアルディアとディスネクテスとの共通祖先の段階でMROから失われたが、水素発生能はディスネクテスに残っている
・メタモナス類の進化の初期段階ですでにミトコンドリアはMROへと退縮していた
・寄生性と自由生活性(*7)の生物ではMROの退縮の仕方が異なる
などです。
橋本先生は、これらに加え、今後は系統樹のどの段階でどの機能が失われたのかなどについてタンパク質レベルでの詳細な研究が必要になるといいます。そして、最終的にはミトコンドリアからMROへの退縮とMRO自体の退縮について完璧な進化プロセスを解明したい、と話します。
しかし、課題も残ります。トリコモナスとジアルディアは研究が進んでいる寄生虫で培養が比較的簡単ですが、それ以外のメタモナス類は自由生活性のものが多く、培養が難しいため研究が容易ではないのです。今後は、自由生活性の生物が安定的に培養できる条件などの検討もあわせて研究していくとのことです。
・生物の歴史を紐解く
橋本先生は、真核生物の初期進化や起源に興味があり、今回ミトコンドリアの退縮の研究に携わりました。先生は、「進化に関する研究の面白さは異なる生物間で共通した機能がみられることだ」と話します。どれだけ見た目が異なっていても、DNA配列や細胞レベルの機能は案外似ているものです。進化のプロセスを辿る中で生物間に共通した機能がみられると、やはり全生物は一つの共通祖先から派生しているのだ、と実感できます。進化研究の究極目標は、オリジン、つまり全生物の最初の祖先を探ることです。ミトコンドリアの退縮に限らず、生物の様々な側面の進化プロセスを辿ることで生物の歴史は確実に紐解かれています。
(*1)真核生物:細胞の中に細胞核と呼ばれる細胞小器官を有する生物
(*2)系統樹:生物の進化やその分かれた道筋を枝分かれした樹木のような図で示したも
(*3)進化速度:塩基が置換する速さ
(*4)CPN60:ミトコンドリアのマトリクスにおいて、傷ついたタンパク質を修復したり、タンパク質の正しい折りたたみを手伝ったりするタンパク質
(*5)遺伝子の水平伝播:個体間や他生物間で起こる遺伝子の取り込みのこと
(*6)寄生性:他の生物から栄養を一方的に収奪する生活様式
(*7)自由生活性:他の生物に頼らず独立して栄養を得る生活様式
【取材・構成・文 吉永真理】
PROFILE
橋本哲男 生命環境系 教授
研究分野:進化生物学、生物多様性・分類、寄生虫学(含衛生動物学)
研究テーマ:寄生原虫類の分子系統進化、ミトコンドリアをもたない真核生物におけるミトコンドリア関連機能の分子進化、真核生物にあけるリボソーム・翻訳系の分子進化
研究室のホームページ:https://sites.google.com/site/memicrobes/home/members