ビジネスサイエンス系 倉橋 節也(くらはし せつや)教授
計測・制御システム関連の民間企業に勤務しながら大学で学び、その後教員へ転身。
1998年 筑波大学大学院 経営・政策科学研究科 経営システム科学専攻 修了
2002年 筑波大学大学院 経営・政策科学研究科 企業科学専攻 修了 博士(システムズ・マネジメント)
2006年 筑波大学大学院ビジネス科学研究科 助教授
2007年 同 准教授
University of Groningen (The Netherlands) 客員研究員、University of Surrey (UK) 客員研究員、科学技術振興機構 研究開発戦略センター 特任フェロー等を経て、2016年より現職。
人間の行動が招く影響を予測する
人工知能(AI)などを使って、企業や社会に蓄積された膨大なデータ(ビッグデータ)をマーケティングなどに有効活用しようとするデータサイエンスが盛んです。とはいえ、これまでにない新しい事業や戦略を考えるためのデータはそもそもありません。そこで登場するのが、過去のデータを利用しながら将来を見通すシミュレーション、という新しい考え方です。中でも、人々の関係性をネットワーク構造として捉え、各個人の行動パターンをモデル化して、集団全体の振る舞いを予測する「エージェント・ベース・モデル」という手法を中心に、さまざまな社会課題に対してアプローチしています。
社会的課題は規模が大きく、構成要素も多岐に渡るため、その解決策を実際にあれこれ試してみることは困難です。シミュレーションは、データに基づいて、将来の社会の姿を短時間で予測できるツールになります。人々が互いにどのように影響しあい、態度を変え、行動するか、をモデル化することで、その集団内における情報伝達やリーダーシップの様子を計算することができるのです。
人間の能力が発揮されるために
もちろん、モデル化された人々の行動と、現実世界のそれとが完全に合致するわけではありません。シミュレーションは、正解を求めるよりも、むしろ、意思決定をする際の一助として活用するものです。人間が自らさまざまなデータを処理し、将来を予測する能力には限界があります。しかし、ある程度の指針が与えられれば、それをもとに考え、よりよい判断をすることができます。敢えて幅のある解釈の余地を残し、人間の力の見せ所をつくっているともいえるでしょう。シミュレーション結果が日々の意思決定に生かされてこそ、モデル化することの意義が生まれます。
どのようなパラメータを使い、どのくらいの抽象度でモデル化するのか、そのさじ加減が研究の面白い部分でもあります。抽象度が高すぎると現実からかけ離れてしまい、低すぎると状況が変化するたびに計算し直さなくてはなりません。適切な抽象度を設定できれば、特定の地域や組織に限らず、汎用的に通用する指針を得ることができるわけです。そのための試行錯誤を繰り返す過程で、問題の本質も見えてきます。
感染症対策の効果予測
この手法を使って、新型コロナウイルス感染症対策の効果についてもシミュレーションを行っています。経済活動の縮小や移動の制限などの対策によって、人々がどのような行動をとり、その結果、感染がどの程度広がるのかなど、感染発生初期から、感染源といわれる中国の武漢における全患者約8万人のデータベースを用いて、いくつものシミュレーション結果を積極的に発信してきました。こういった研究結果は、欧米では政策決定にも活用されています。
感染症対策に関する研究は、オランダの大学で研究していた頃に始めたテーマです。最初に取り組んだのはエボラ出血熱でした。ヨーロッパはアフリカが近いこともあり、切実な問題になっていました。そこで、もし感染者が一人でも日本に入国したらどうなるかをシミュレーションしてみたところ、想像以上に深刻な結果が得られたのです。
新型インフルエンザ、SARS(重症急性呼吸器症候群)、ジカ熱、デング熱、風疹など、毎年のように感染症は発生しています。その都度、WHO(世界保健機関)や国立感染症研究所などのデータを分析しますが、感染症ごとに、感染のメカニズムや対策は異なります。蚊が媒介するような場合には、蚊の動きも考慮しなくてはなりません。基本的なモデルは同じでも、使用するパラメータは全く違います。
理系と文系の間を行く
AIやビッグデータと聞くと、いわゆる理系の最先端分野のように思われます。確かに、人間の思考をコンピュータで再現することを突き詰めようとすると、難解な数式やアルゴリズムを避けて通ることはできません。けれども、実際の人間の思考はもっともっと複雑です。小説のように文章で表現することはできても、それを数式に置き換えるには、かなり単純化しなければなりません。つまり、同じ事柄でも、複雑な現実の世界に近いほど人文社会科学の領域になり、限定的な仮想世界を扱うと自然科学の領域になるのです。
そう考えると、プログラミングは人文社会科学と自然科学の中間にあるものと捉えることができます。複雑な現実世界を、計算可能なレベルに抽象化するのがプログラミングというわけです。とりわけ、組織や社会の課題をシミュレーションする際には、コンピュータサイエンスよりも、社会学や心理学など、人文社会科学の知識が重要になります。日本では、コンピュータサイエンスの計算テーマとして社会課題を扱うことが多いのですが、世界的にみると、社会科学系の研究者が、課題解決のツールとしてプログラミングを利用する研究スタイルが主流。プログラミング言語としても、Logo言語という、もともと小中学生の練習用に開発されたものがベースとなっており、それほど高度な専門性がなくても使いこなすことが可能です。
人の役にたつシミュレーションを
研究の本拠地は社会人大学院(ビジネススクール)。ビジネススクールでは一般に、実務重視の教育が行われがちですが、筑波大学は研究にも重きを置いています。自らも社会人として学んだ経験から、大学で集中して研究に取り組むことの価値を実感しています。もともとエンジニアでしたが、生物学、社会心理学、歴史など幅広い分野に関心があり、これらも組み合わせた研究を模索していたときに出会ったのが社会シミュレーションという新しい分野でした。一つの専門性を極めるまでの過程で、知らず知らずのうちに周辺分野の知識もたくさん身につきます。そういった引き出しが増えることは、研究以外の場面でも有用です。
働きながら学ぼうとする学生は、それぞれの職場で現実に直面している課題を抱えて大学院へやってきます。社内の業務効率化から少子高齢化に向けたまちづくりまで、実践的なテーマが数多くあり、研究者にとっても発見の連続、常に社会の問題と勝負している感覚があります。崇高な研究目標を掲げるよりも、人々が今困っていることを的確に見つけ、タイムリーに解決策を提示することを意識しながら研究に挑み続けます。
筑波大学大学院 人文社会ビジネス科学学術院 ビジネス科学研究群 経営学学位プログラム 倉橋研究室
社会的課題の解決策をコンピュータ上で実験する社会シミュレーション、経営上の課題をモデル化して実験・分析・予測を行うシミュレーション経営学、金融やマーケティングの課題をさまざまなデータから分析する経営知能情報学、および、企業や社会に蓄積された大量のデータから意味のある情報を発見する人工知能研究に取り組む。これらの研究を通して、社会や経営に関する課題の本質を探るとともに、高度な経営分析スキルを身につけたビジネスリーダーの育成を目指している。
(研究室URL: http://www.u.tsukuba.ac.jp/~kurahashi.setsuya.gf/)