#031:快楽から意思決定まで ドーパミンニューロンが担う多様で複雑な働きに迫る

医学医療系 松本 正幸(まつもと まさゆき)教授

大学で機械工学を学んだあと、大学院から脳の研究をスタート。一貫して霊長類動物モデルを用いた高次脳機能研究に従事する。
1999年 横浜国立大学 工学部 生産工学科 卒業
2001年 東京工業大学大学院 総合理工学研究科 知能システム科学専攻 修了
2005年 総合研究大学院大学 生命科学研究科 生理科学専攻 修了 博士(理学)
2005年 米国国立衛生研究所(NIH) 研究員
2009年 京都大学 霊長類研究所 助教
2012年 筑波大学 医学医療系 教授

知られざるドーパミンの働き

ドーパミンという脳内物質の名称を聞いたことのある人は多いでしょう。以前から快楽物質としてよく知られていましたが、近年、それだけではなく、学習や動機付け、行動抑制などにも関わっていることがわかってきました。中脳という脳の奥の方に存在し、ドーパミンを作り出す神経細胞であるドーパミンニューロンに障害が起きると、情動とは関係ない部分にも影響が生じます。例えば、ドーパミンニューロンが80%ほど失われると、運動や認知機能に様々な症状が現れるパーキンソン病を発症します。

薬物依存症や強迫性障害などにおいて、合理的な意思決定ができなくなるというのも、ドーパミンニューロンの異常によって起こる症状の一つです。こういった症状が起こるメカニズムがわかれば、治療法も開かれます。快楽物質だと考えられてきたドーパミンの産生と、意思決定のプロセスとの間に、どのような関係があるのでしょうか。

より高次の脳機能を探る

合理的な意思決定というのは、認知機能が発達した生物に特有の行動です。脳科学の研究ではマウスを用いることが一般的ですが、ヒトとマウスとでは脳の構造、すなわち脳の発達の程度が異なっており、マウスの行動が、ヒトの脳と同じ仕組みで起こっているとは考えにくい側面があります。そこで、よりヒトに近い脳の機能を理解するために、サルを使います。実験動物としてサルを扱うことができる研究機関は、国内でもごく限られており、その点では、筑波大学は恵まれた研究環境だといえます。

意思決定に関する実験では、様々なタスクをサルに行わせ、その時のドーパミンニューロンの活動を観察します。より価値の高い行動、つまりより合理的な選択をした時に報酬を与えるようにすると、サルはそれを学習して、価値判断をするようになります。このときのドーパミンニューロンの活動を解析してみると、思考や判断を司るとされる前頭葉ではなく、中脳のドーパミンニューロンが、選択肢の価値情報を、それを選ぶための選択指令に変換していることがわかりました。

こういった実験においては、サルにどんなタスクを行わせるかが、研究者の一番の腕の見せ所です。難しいタスクの方が、高次の脳機能を調べることができますが、結果の解析は複雑になります。できるだけシンプルで、求めるデータがピンポイントに得られるようなタスクのデザインが重要です。実験用のサルは頭数も少なく、長期間の飼育も必要です。実験者との相性もありますから、しっかりと準備をしなくてはなりません。

知能ロボットから脳研究へ

脳研究の道に進んだきっかけは知能ロボットでした。もともと工学部機械科の出身。大学院で知能ロボットを研究しようと、計算論によって脳を理論的に理解しようとする研究室に入りました。しかし当時の技術では脳の機能を明らかにすることはできず、もっと直接的なサルの脳の研究へとシフトしました。ヒトではできない侵襲的な実験や遺伝子操作を用いた実験がしたいと考えたのでした。

そうして取り組んだのがドーパミン研究。快楽物質としてのドーパミンが働く仕組みを解明しようとしましたが、実はドーパミンの働きはそんなに単純なものではないことがわかり始め、研究の幅が一気に広がりました。ドーパミンニューロンから放出されるドーパミンは、脳の様々な場所に到達し、それぞれ異なる働きをしています。ヒトでの作用を理解するには、やはり、ヒトと近い構造の脳を使わなければならないのです。

ドーパミンニューロンの複雑さを発表していくうちに、この分野へ世界中の研究者が参入するようになり、ここ10年ほどの間に、大きな研究コミュニティが形成されました。ドーパミンの新しい作用がたくさん見つかり、研究は盛んになっていますが、その分、独自性ある研究の重要性も一層増しています。

脳内ネットワークの解明に向けて

脳の活動を調べる手法としては、脳に直接電極を挿して、電気信号を記録する方法が主体ですが、この方法では、ドーパミンニューロンの活動自体は制御できません。そこで近年、光遺伝学を使った方法が注目されています。植物由来の光活性タンパクを遺伝子操作によって神経細胞に発現させ、光ファイバーでそこに光を当てて活性化させます。この手法を応用すると、ドーパミンニューロンの活動を制御することができますから、より多様な実験条件を設定することが可能です。こういった新しい手法を駆使してドーパミンニューロンの働きを探る研究にも着手しています。

実験上は、どちらがより多くの報酬が得られるか、という単純な基準で合理性を定義しますが、実際の意思決定はもっと複雑です。選択肢が増えたり、周囲から影響を受けると、人間でも合理的な意思決定は難しく、人によって判断が異なることもあります。それでも、何を合理的と考えるかという仕組みは、脳が作り出していることは確かです。意思決定は、前頭葉や大脳基底核といった部分を含めた、極めて広範な脳のネットワークが関わっていると考えられています。脳の様々な領域で、ドーパミンが司令塔のような役割を果たしているとすれば、それを足がかりにして、ネットワークの全容も明らかになるかもしれません。

ドーパミン研究をAIへ

最近は、計算科学的な手法を取り入れることにも挑戦しています。人工知能(AI)分野ではディープラーニングという手法により、例えば脳の視覚野のニューロンの神経回路を模したようなものをコンピュータ上で再現して、画像解析などを行うことができるようになりました。脳の計算アルゴリズムからAIに応用できるものがあるのではないか、それがいずれは、最初に志した知能ロボットにもつながると期待しています。

AI研究自体は、脳を人工的に再現しようというところから始まっていますが、現在活用されているものの多くは、必ずしも脳の働きに基づいた仕組みではありません。実用化が重視され、現実には脳とAIはむしろ乖離してしまっているようにも見えます。

もちろん、ドーパミン研究は脳研究のごく一部に過ぎませんが、自分の研究が脳とAIを再び近づけていく上で何らかの助けになるのであれば、素晴らしいことです。AI分野とのコラボレーションからは、思いがけないアイデアも得られており、そこからさらに新しい発見が生まれる予感もあります。道のりは長いですが、研究の種はあふれています。

筑波大学 医学医療系 生命医科学域 認知行動神経科学研究室

注意や情動、推論、学習、意思決定、意欲などの心理現象を実現する脳のメカニズムを解明することを目指して研究を進める。よりヒトに近い脳の構造を持つサルを用い、様々な認知行動課題を行わせた際に、脳がどうのように活動するのかを電気生理学的な手法を用いて調べるとともに、その活動を脳局所への薬物投与や電気刺激によって操作することにより、脳の活動が認知機能や行動制御に果たす役割の解析に取り組んでいる。
(研究室URL: http://www.md.tsukuba.ac.jp/basic-med/cog-neurosci/index.html