川口 敦史Kawaguchi Atsushi
新型コロナウイルス感染症に対するワクチン接種が、国内では2021年2月中旬から始まりました。しかし、ワクチンは万能ではなく、感染したときの治療薬も必要です。治療薬の開発には、病態を再現する「動物モデル」が必要不可欠です。私たちは、重症患者と同様な炎症応答(生体防御応答)を再現できる遺伝子改変マウスを作製して、治療薬開発に貢献できる新型コロナウイルス感染症モデルマウスの確立を目指しています。
ウイルス学の研究者としてできること
私たちの研究室では、これまで主にインフルエンザウイルスを用いて、ウイルスがどのように病原性を発現するのか、そのとき宿主の細胞はどのように応答するのか、について研究を続けてきました。そこに新型コロナウイルス感染症の大流行が発生、自分たちも何か貢献できないかと考えて、本プロジェクトを立ち上げました。
ウイルスの研究では、ウイルスに感染して病態が現れる感染動物モデルが必要です。現在、私たちは、感染動物モデルとしてマウス(モデルマウス)を使っています。しかし、新型コロナウイルスは、通常のマウス(図1のWt)には感染しません。なぜなら、新型コロナウイルスは、細胞の表面にある「ACE2」という受容体を認識して細胞に侵入するのですが、マウスの細胞のACE2受容体は認識できないからです。
その解決策として、ヒトのACE2受容体(hACE2)を導入した遺伝子改変マウス(図1のGGS-hACE2)が考えられます。しかし、このマウスは全身の細胞でhACE2受容体が発現するため、ウイルスが脳にも感染してしまい、ヒトでは起こらない重い病態になってしまいます。これでは適切なモデルマウスとはいえません。
そこで私たちは、気道上皮細胞などヒトと同じ感染部位だけにhACE2受容体が発現する遺伝子改変マウスを作製しました(図1のhACE2-KI)。 私たちは以前、このマウスとは別に、ウイルスに対して気道上皮細胞で炎症応答を起こすMx遺伝子を導入したマウスを作製しています。この2種のマウスを掛け合わせれば、新型コロナウイルスに感染したときに気道上皮細胞で炎症応答を起こすマウスが生まれます。
図1 新型コロナウイルスは、通常のマウス(Wt)がもつACE2受容体を認識できないため感染しない。マウスのACE2遺伝子をヒトACE2遺伝子に置き換えたGGS-hACE2マウスは、脳の細胞にもACE2受容体ができるため脳にも感染してしまう。ヒトACE2と同じ部位に受容体が発現するように作製したhACE2-KIマウスは、新型コロナウイルス感染症に近い病態を再現するため、モデルマウスとして適切である。このモデルマウスと、さまざまな疾患モデルマウスとを掛け合わせると、重症化しやすい基礎疾患のあるモデルマウスも作製することができる。
今後は、このマウスを用いて、新型コロナウイルスの感染メカニズムや宿主の炎症応答の仕組みを解明していく予定です。このメカニズムがわかれば、治療薬開発のヒントも得られるのではないかと考えています。
新型コロナウイルスの増殖を抑える女性ホルモン誘導体を発見
私たちは、モデルマウス作製と並行して、新型コロナウイルスの活性を阻害する薬剤の探索も行っています。すでに1,300種類以上の化合物スクリーニングを行い、培養細胞において新型コロナウイルスの増殖を抑える物質を発見しました。その中には、女性ホルモン誘導体が複数ありました。ある女性ホルモン誘導体を培養細胞の培地に添加すると、その分量に依存して新型コロナウイルスの増殖を抑えることがわかりました。さらに、女性ホルモンを活性化する化合物を同時に添加すると、新型コロナウイルスの増殖を抑制する相乗効果があることも発見しました(図2)。
新型コロナウイルス感染症では、男性のほうが重症化しやすいことがわかっています。図2に示した実験結果は、その性差を説明するものかもしれません。今後はモデルマウスを用いて、新型コロナウイルス感染症の重症化のメカニズムの解明にも取り組んでいきます。
図2 培養細胞に女性ホルモン誘導体を添加すると、細胞の外で検出される新型コロナウイルスの数が減少する(グラフの数値は、添加しないときを100%としたときの細胞外のウイルス数の割合)。さらに、ここに女性ホルモンを活性化する化合物(Compound X)を添加すると、その効果はより大きくなる。
Project Name / 新型コロナウイルス感染症モデルマウス作製
(取材・執筆:島田 祥輔 / 編集:サイテック・コミュニケーションズ / ポートレート撮影・ウェブデザイン:株式会社ゼロ・グラフィックス)
ー さらに詳しく知りたい方へ ー
●Influenza restriction factor MxA functions as inflammasome sensor in the respiratory epithelium
https://immunology.sciencemag.org/content/4/40/eaau4643
doi: https://doi.org/10.1126/sciimmunol.aau4643
気道上皮組織において、インフルエンザウイルスに対する炎症応答制御に関わるセンサー分子としてMxAを発見した論文です。
●気道上皮組織でインフルエンザウイルスを感知する病原体センサーのタンパク質を発見
https://www.tsukuba.ac.jp/journal/medicine-health/20191026030018.html
上記論文のプレスリリースです。