夜の文化・芸術的創造活動に注目し、コロナ禍の影響と支援策を国際比較する | 池田 真利子 | 筑波大学「知」活用プログラム 成果インタビュー

代表者 : 池田 真利子  

池田 真利子 Ikeda Mariko

音楽をはじめ夜に息づく文化的活動は、魅力的な文化芸術と経済効果を生み出してきました。しかし今、小規模な文化事業主やアーティストたちは、コロナ禍において活動の自粛を強いられるなど困窮を余儀なくされています。私たちのグループは、この実情を明らかにすべく、ドイツ、イギリス、日本の3カ国で共同研究の体制を構築し、行政、文化事業主、アーティストに対するインタビュー調査を実施。困窮の現状と支援策、成功事例などの実態を把握した上で、その情報を社会に還元し、ダメージを最小限にとどめるための方策を探っています。

 

世界で始まった「夜」の学術研究

「夜」は人間のさまざまな文化を生み出してきましたが、これまで長い間、学術としての研究は行われてきませんでした。しかし2014年に、ユトレヒト大学(オランダ)の人文地理学者リエンプト(Ilse van Liempt)氏 が、『Urban Studies』で、夜の時間–空間についての分野横断的な学術研究の必要性を問いかけたことが発端となって、世界的に注目されるようになりました。EUでは現在、大型研究プロジェクトHERA※1において、「NITE※2」というテーマの国際研究が推進されており、このプロジェクトメンバーが企画した世界初の夜の国際学会で私たちも発表し、連携を深めているところです。

一方、国内ではオリンピックのインバウンド観光も視野に入れて行政が動き、風営法改正※3とIR推進法※4がほぼ同時期に施行されたことで、夜間経済やナイトライフ観光が注目されるようになりました。しかし、未だに学術研究はほとんど行われていないのが実情です。

※1 Humanities in the European Research Area。ヨーロッパの26カ国からなる研究ネットワークが、人文社会科学を主体として社会還元を意識して行う大型研究プロジェクト
※2 Night spaces: migration, culture and IntegraTion in Europe
※3 「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」。2016年に施行され、風俗営業からダンスが除外された。
※4 カジノなど、「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」。2016年に施行された。

丹念な聞き取り調査でコロナ禍の実態に迫る

2020年1月、全世界的に「3密」が問題視されるなか、特に「音楽・音」を扱う文化表現が世界的に厳しい状況を迎えることが想定されたことから、その実態調査に向けてイギリス、ドイツの若手研究者たちと共同研究を始めました(図1)。

夜は、人の視覚の一部を遮断して聴覚など他の感覚を鋭敏にするため、音楽活動には重要ですが、施設には騒音対策などで密閉空間が求められることから3密の回避は困難です。私たちはまず、2020年6〜12月に、小規模な文化事業主の実情を調べようと世界規模でのオンラインインタビューを実施しました。さらに、行政、ミュージシャン、事業主の三者に対する聞き取り調査も行いました(図2)。

 

図1 共同研究のメンバー。イギリスのモルグナー・クリスチャン氏の社会学的視点と、ドイツのレレンスマン・ルイーズ氏の建築学的視点、池田氏の地理学的視点を交流させつつ、現状把握と打開策に対する意見交換を行っている。クリスチャン氏は、イギリスにおける支援策の実態や、ミュージシャンが置かれている現状を社会学的な視点で調査・考察し、夜間音楽経済のエコシステムを研究している。一方、ルイーズ氏は、建築学の視点からの考察を行い、例えば、ライブ空間の密閉性を解決するための空調の提案など貴重な意見を投げかけてくれる。

 

図2(上段)研究について語るクリスチャン氏。イギリスではライブが長期延期になってもチケット購入者の95%以上が返金を要求しなかったとの、ファンによる支援の事例も聞かれた。また、クラシックの楽団員の収入はほぼ100%保証されたが、音楽教師は85%の収入減となり、性差も生じている状況が報告された。一方、ベルリンでは、あるプロのアーティストは、ロックダウンで85~90%の収入減だった半面、創作活動に集中したという話を聞くことができた。これら調査を通して「生の声」を集めることの意味を改めて感じている。(下段)インタビューの様子。インタビューではあらかじめ共同研究者間で精査した質問項目を、全ての調査で共通に投げかけている。また、共同研究者はできるだけ自国以外の調査にも同席するようにしている。

研究ではまた、音楽を扱う施設(特に夜間)を広義の「夜間音楽経済」と定義し、統計情報で得ることの難しい分布を地図化し(図3)、首都圏において実際にどの程度の社会・経済的インパクトがあるのかを推測しました。

 

図3 文化産業を担う小規模事業体の分布。関東全域(左)と都心部(右)。月刊『地理』2020年10月号より。例えば、ダンススタジオや、音楽スタジオ、クラブも、視点によっては、劇場や文化施設のように、コロナ禍で困難な状況に直面した施設の一例と捉えることができる。音楽には、「生産」と「消費」が場所や空間を通じて同時に行われる側面がある。コロナ禍でライブパフォーマンスが限定されるなど、消費の側面が弱まったと強調されるが、こうした時こそ、生産の視点で音楽を再考する必要が出てきたのではないかと考えている。

こうした事例や動向から、コロナ禍が創造活動に与えるダメージ、メリット、行政の支援策などを、今後、国際比較してとりまとめ、社会に向けて発表していく予定です。また海外では、「NITE」が予定しているベルリンでの研究発表会への参加のほか、アジアにおける夜の研究者ネットワークを先導的に構築しながら研究成果を発信していきたいと考えています。

(取材・執筆:楠見 春美 / 編集:サイテック・コミュニケーションズ / ポートレート撮影・ウェブデザイン:株式会社ゼロ・グラフィックス)

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