#036:睡眠と覚醒のスイッチを探して

代表者 : 櫻井 武  

医学医療系/国際統合睡眠医科学研究機構 櫻井 武(さくらい たけし)教授

1993年筑波大学大学院医学研究科博士課程修了。1993年筑波大学基礎医学系講師、1999年筑波大学基礎医学系助教授、2004年筑波大学大学院人間総合科学研究科助教授、2008年金沢大学医薬保健学総合研究科教授を経て、2016年より現職の筑波大学医学医療系教授を務める。筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構副機構長を務める。新しい脳の機能や作動メカニズムの解明を目指し、研究を進めている。

 

さらに睡眠が担う機能の解明へ
人は睡眠をとらずに生きることはできません。しかし一方で、昼間に活動している最中に睡魔に襲われたり、夜間によく眠れず健康に支障をきたすなど、眠りは自分の意思でコントロールできるものでもなさそうです。睡眠や覚醒を司っているのは脳の働き。
それらのモードを切り替えるスイッチは一つではなく、脳内に張り巡らされた神経回路として存在していることが分かってきました。
その全容は、もうすぐ解明できそうなところまできています。

覚醒を維持するペプチドの発見
研究室の様子
1998年、新しいペプチド(アミノ酸がつながった集合体)「オレキシン」を同定したことが、睡眠研究を始めるきっかけとなりました。脳内にある未知の物質を網羅的に調べていく中で見つけたもので、当初は、このペプチドがどんな作用をするのか全く分かりませんでしたが、マウスに投与すると、とてもたくさん食べるようになることから、食欲に関係するのではないかと考えていました。しかし実際には、オレキシンの機能は覚醒を安定化させることでした。起きている時でなければ食べることはできませんし、お腹が空くと目が覚めます。その点では、食欲との関係も間接的に説明することができます。
オレキシンの機能が分かってくると、世界中の研究者がこの分野に関心を持つようになり、睡眠と覚醒に関する研究は急速に進展しました。オレキシンが、神経細胞のうちのどこで作られ、どこに信号を送っているのか、つまり、睡眠と覚醒をコントロールするスイッチとなる神経回路が脳内のあちこちに存在していることが、次第に明らかになりつつあります。これらのピースをつなぎ合わせていくと、そのスイッチの全容が見えてくるはずです。睡眠・覚醒のスイッチはただ一つではなく、脳全体の作動モードを大きく切り替えるためのプロセスが必要なのです。

睡眠の役割
私たちの脳は、寝ている間も活動しています。睡眠時は覚醒時とは別の活動様式で脳が機能しているのです。眠りの深さは、レム睡眠とノンレム睡眠の違いで説明されることが多いですが、そうではありません。睡眠の深さはノンレム睡眠の中にあるのです。脳が部分ごとにパッチワーク的に活動していると眠りは浅く、脳全体が均質に睡眠状態になると深い眠りに入ります。
睡眠中は意識がなく、脳の機能も落ちていますが、それでもノンレム睡眠中の脳内では、情報の整理が行われています。起きている間に学習した膨大な情報を、フォルダごとに整理して階層化し、不要なものを削除するような作業を自動的にやってくれています。どんなにたくさん勉強をしたり、運動や楽器の練習をしても、その後、睡眠をとらなければ、その知識やスキルは固定化されないのです。
とはいえ、動物はなぜ眠らなければならないのか、睡眠、とりわけレム睡眠の根本的な役割はまだ完全には解明されていません。レム睡眠中は、全身の筋肉は弛緩していますが、脳は活発に活動しています。脳の活動に伴って、体が動いてしまわないように麻痺させるためのメカニズムがあるわけです。近年、哺乳類だけではなく下等動物も、レム睡眠とノンレム睡眠のような2種類の睡眠をとっていることが分かっています。どうして二つの睡眠状態が存在するのか、その謎が解ければ、睡眠障害などの病気の治療にもつながるはずです。

体内時計と睡眠
体内時計も睡眠のスイッチと密接に関わっています。体内時計はほぼ24時間のリズムで動いていますが、毎朝、日が昇る、すなわち光を浴びることでリセットされます。ところが、照明を使ったり、布団に入ってからも携帯電話の画面を操作するなど、夜間でも明るい中で過ごしていると、体内時計は、時間が間違っていると判断して、時間を後ろへずらしてしまいます。平均的には、朝日を浴びてから約16時間後に、最初の睡眠のスイッチがオンになって、眠りの体制が整えられていきますが、時計がずれていると、そのスイッチがうまく入らず、眠ることができなくなります。逆にいうと、このスイッチが入る前はなかなか寝付けないわけで、早起きをするために早く寝ようとしても難しいのはそのためです。
夜間の明かりや飛行機での長距離移動などは、当たり前のことのように思えますが、人類の進化は、まだこういったライフスタイルには適応していません。そのため、適切な眠りができない時には、薬を使うなどの対処が必要になるのです。

可視化される脳の働き
脳内での情報伝達を担っているのはシナプスです。その一つひとつがどのような挙動をしているかを探ることは、脳の活動を知る上でとても重要です。シナプスは固定された構造ではなく、必要に応じて生まれたり消えたりし、形状や機能もどんどん変化しています。脳の微細構造から見れば、昨日の私と今日の私は違うのです。
そのようなシナプスの様子は、二光子顕微鏡を用いて観察することが可能です。10年ほど前に開発されたもので、これによって、生きたままのマウスの脳内を、シナプス1個のレベルで見ることができるようになりました。さまざまな行動をする前後で、特定のシナプスを追跡してみると、全く異なる状態になっていることも明らかになっています。睡眠も大脳皮質のシナプス構築に大きく影響を及ぼします。
こういった顕微鏡や分析装置、神経細胞を操作したり遺伝子を改変する技術は、研究の進展に欠かせません。最新テクノロジーを駆使して、睡眠中に脳が行っている働きを、シナプスレベルでより詳しく調べていくことが目下のテーマです。

睡眠研究のその先へ
最近は、睡眠・覚醒からさらに進んで、冬眠についての研究にも取り組んでいます。冬眠のパターンは動物によっていろいろですが、何ヶ月も寝たままというのはほとんどなく、数日間眠って、少し起きて、また寝る、というようなことを繰り返しています。冬眠は、睡眠とは全く異なる状態ですが、定期的に覚醒しなければ、栄養や免疫などに不都合が生じるのかもしれません。そう考えると、両者の間に関連性があることは確かです。
マウスに関しては、体温と代謝を制御して冬眠状態を誘導する神経回路を発見しています。これによって、人為的に冬眠期間をコントロールすることも可能です。そうなると、人間の冬眠もできそうに思われます。実際、2030年代には火星に移住しようという計画もあり、それには人工冬眠が必要ともいわれています。ですから、あながち空想の世界でもありません。宇宙空間を移動する際の冬眠は、その間の食料や酸素、生命維持装置を必要最低限に抑えるために不可欠です。また、宇宙での隔離状態で生じるメンタルの問題も、冬眠していれば回避することができます。冬眠からの覚醒方法など、まだまだ課題はありますが、いずれは実現できると考えています。
神経科学では、体のダイナミックな動きに注目することが多く、睡眠のような動きの少ない現象は、かつては研究の対象になりにくいものでした。しかし実際には、睡眠中も脳はさまざまな活動をしており、覚醒中の行動とも強く関連しています。睡眠・覚醒のスイッチが解明された先にも、まだま だ研究の種は尽きません。

 

筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 櫻井/平野研究室
櫻井教授の写真
脳内において神経細胞がさまざまな情報のやりとりを行う際に関わる物質のひとつ、神経ペプチドに着目した研究を行う。新しい神経ペプチドを探索し、その詳細な機能を明らかにすることを通じて、未知の脳の働き、とりわけ、睡眠・覚醒制御、体内時計、能動的低代謝(冬眠)などのメカニズム解明を中心にした研究テーマに取り組んでいる。
(研究室URL: https://sakurai-lab.com/)

(文責:広報室 サイエンスコミュニケーター)