人間系
原田 隆之(はらだ たかゆき)教授
1964年徳島県生まれ。一橋大学社会学部、同大学院社会学研究科博士前期課程修了。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校大学院心理学研究科修士課程修了。東京大学大学院医学系研究科で博士(保健学)取得。法務省矯正局法務専門官、国連薬物・犯罪事務所ウィーン本部アソシエートエキスパート、目白大学人間学部教授等を経て現職。専門は、臨床心理学、犯罪心理学、精神保健学。
刑罰や説得を超えた心の働きへのアプローチ
やめたくてもやめられない…誰にでもそんなことはあるでしょう。
犯罪や依存症は、それがエスカレートした形ということができます。
最初は一時の気の迷いや好奇心でも、いったんその行動が快感として認識されると、ダメだと分かっていても繰り返してしまうのです。それは一種の病で治療も可能ですが、間違った情報や偏見が広がってしまっているのも事実。繰り返される逸脱行動への科学的対処に向け、正しい知識を発信しつつ、心理療法の最前線に立っています。
行動は変えられる
原田教授研究室
犯罪など、社会規範から逸脱した行動を変える必要があるとき、どのような方法が有効でしょうか。みんなで説得をしたり、理路整然と説明したり、あるいは、何らかのペナルティを科すという方法も考えられます。けれども、そう簡単には変われないのが人間です。頭では理解していても、ストレスや不安の方が大きかったり、欲望や快楽に負けてしまったり。そんな時に力を発揮するのが心理学です。
このような逸脱行動をやめさせるためには、刑罰を科したり、本人が反省するだけでは十分ではありません。とりわけ、薬物依存や性犯罪は、刑期を終えて社会復帰しても、また繰り返してしまいやすいものです。しかし一方で、そういった人たちの多くは、立ち直りたいという気持ちを持っています。
これらの逸脱行動の原因となるのは、認知や行動のゆがみですから、それを修正する、つまり治療をすることは可能です。実際、心理療法による集中的な治療プログラムによって、再犯率を30ポイント近く下げることができるというデータが示されています。もちろん、そういった治療を提供する場所や機会のインフラを整えること、そして、治療の後も孤立しないための長期的なサポート体制につなげていくことも重要なのは、言うまでもありません。
疫学的手法で心理を捉える
こうした逸脱行動の原因や関連要因を探るには、データが重要になります。海外では、ある地域で生まれた子どもたちを、何十年にもわたって追跡し、医学やメンタルヘルスの観点からさまざまなファクターを分析するような疫学調査の事例があります。そこまでの大規模なプロジェクトとはいかないまでも、このような研究手法を取り入れようとするのが、心理学の分野でもトレンドになっています。
現在取り組んでいるのは、性犯罪者を対象にした調査です。性犯罪のリスクファクターにはさまざまなものがありますが、着目しているのは「遅延価値割引」という認知的傾向です。目の前にある小さな快楽と、後で手に入る、より大きな快楽のどちらを選ぶか、というようなことを調べていくと、犯罪を犯す人には、そうでない人に比べて、目の前の快楽に飛びつきやすい、つまり、その後に起こるであろう(遅れてやってくる)家庭や人生への影響を割り引いて考えてしまう傾向があることが見えてきました。病院や自助グループにも協力してもらい、より多くのデータを集めてさらに詳しい分析を進めていけば、そのような衝動性や行動をコントロールできるようにするための介入方法を提案することができるかもしれません。思考パターンや認知のゆがみなど、性犯罪につながりうる他の要因の分析も加えれば、より効果的な治療プログラムが見つかるはずです。
心の働きと脳の働き
逸脱行動をめぐる心理学の理論は、古典的なものから新しいものまで、一般向けにも比較的よく紹介されていますが、それだけで心理学を語ることはできません。最近では、生物学的なアプローチにも注目が集まるようになっています。犯罪と関連づけて遺伝子や脳の仕組みを調べることは、優生学的な考え方を助長しかねないことから、長い間、タブーとされてきました。しかし突き詰めると、心の働きは脳の働き。正しい原因が分からなければ、適切な対応もできません。そのため、脳画像や遺伝子解析を用いた研究が進展してきています。
逸脱行動をやめられなくなるのは、それで快感が得られるからです。その記憶が蓄積されて、快楽を感じる脳の回路が過敏になります。痴漢や窃盗などの犯罪や、酒や薬物に対する依存症は、いずれも同じ仕組みが関わっています。ただ、そのような脳の働きを鎮める薬はありません。仮に薬があったとしても、快楽で興奮する神経系は共通なので、日常にある他のさまざまな快感まで失われることになります。それでは生きる楽しさそのものがなくなってしまいます。ですから今のところ、こうした逸脱行動を治すには、心理療法に期待するしかないのです。
刑務所で知る人間の多様性
一見、気の重い分野のように思われる犯罪心理学ですが、学生時代、実際に刑務所や拘置所でさまざまな犯罪者に面接してみると、教科書でしか読んだことのないような珍しい障害を持っている人や、常識では考えられないような行動パターンの人がたくさんいて、その多様性に、人間に対する価値観が大きく開かれました。それは、人間性への関心を高めるきっかけになりました。
人の心には、愛や夢といった明るい部分だけでなく、妬みや憎しみといった闇の部分もあります。犯罪は、普段は隠されている闇の部分が可視化されたものの一つとして捉えることができます。犯罪者だから、という先入観を持たずに、こうした部分に目を向けることが、より深い人間理解につながるのです。
正しい心理学を広め社会に役立てる
社会的インパクトの大きな重大犯罪が起きた時、メディアでは、専門家と称する人たちが、犯人の育った不遇な環境や特異な人柄と結びつけて、その動機や行動を説明しようとします。けれどもそのような犯罪は頻繁に起こるものではなく、エビデンスになるほどのデータは集まっていません。真の専門家なら、安易に答えを導くことはできないはずなのです。
確かに人々は、そのような分かりやすい説明を探しがちです。しかし間違った情報や偏見が、心理学の知識として広がってしまうのは、社会にとっても、学問としても望ましくありません。学会も、そのような状況を踏まえて、積極的な情報発信を推進するようになってきました。そういった背景もあり、学術論文や専門書だけではなく、一般向けの新書やウェブメディアの記事も数多く執筆し、メディアやSNSでも精力的に発言するように努めています。
犯罪心理学は、その知見を社会に還元することが重要。刑務所に治療プログラムを導入したり、学校教員による性犯罪の問題への取り組み、さらにそれに向けた司法や政治の関係者との協働など、社会とのさまざまなコミュニケーションも大事にしています。そうして、臨床での治療にあたること、一度は過ちを犯した人々が回復していく姿を見ることが何よりの喜びです。
筑波大学人間系 原田研究室
原田教授の写真
犯罪行動をはじめとする人間の逸脱行動の分析と治療、行動変容について研究している。科学的な心理アセスメントや心理療法の開発を目指し、さまざまな臨床研究を実施している。現在は、性犯罪者のリスクファクターの研究および治療プログラムの開発、フィリピンにおける覚醒剤依存症治療プログラムの開発(JICAプロジェクト)などに取り組んでいる。科学的な方法を重視し、真に社会の安全、個人の心身の健康や適応に役立つ臨床心理学の実践を目指している。
(URL: https://www.human.tsukuba.ac.jp/counseling/)