#038:タンパク質の構造解析を創薬につなぐ

生存ダイナミクス研究センター
岩崎 憲治(いわさき けんじ)教授

1992年京都大学理学部卒。1994年に京都大学大学大学院修士課程を修了した後、大阪大学柳田敏雄研に所属し、松下電器中央研究所に学生身分として入所。このときに初めてクライオ電子顕微鏡というものに触る。1998年に博士号を取得し、アメリカ国立衛生研究所にポスドクとして勤めた後、理化学研究所、大阪大学などを経て、2018年10月より現職。これまでに8台の大型電子顕微鏡の導入に携わってきた。モットーは、「人のやっていないことをやる」。

 

クライオ電子顕微鏡で探る生体分子のカタチ
私たちの体を作っているタンパク質。それぞれが持つ機能が複雑に絡み合って生命活動が営まれていますが、それらを構成しているのは、わずか20種類のアミノ酸です。タンパク質の多様な機能は、それらの並び方や空間構造に応じて生み出されており、これに不具合が生じると病気を引き起こしたりします。
最先端のクライオ電子顕微鏡を駆使して、これまで見ることのできなかったタンパク質の構造を立体的に解析し、その機能の仕組みに迫ります。

解析が難しい生体分子
岩崎教授研究室
物質の細かい構造を観察するには、顕微鏡を使うのが一般的です。光学顕微鏡では、試料の表面に可視光を当てて像を拡大しますが、光の代わりに電子線を使い、より高倍率で観察できるのが電子顕微鏡です。電子が周囲の気体分子に邪魔されないようにするために、電子顕微鏡の内部は真空になっています。ところがこれが、生体分子にとっては厄介。分子内に含まれる水分は、真空中ではどんどん蒸発してしまい、試料が変質してしまいます。かといって、水分を凍らせても、電子は氷の結晶中でぶつかり合い、試料にまで到達できません。そのため長い間、タンパク質などの生体分子を電子顕微鏡で観察することはできない、とされていました。
そこで使われるのがX線を使った構造解析です。結晶にX線を当て、その散乱から構造を求めますが、ここで使う試料は結晶でなくてはなりません。タンパク質も結晶化させることはできますが容易ではなく、観察用の試料を作る段階で高いハードルがあります。
そんなわけで、生体分子の構造解析は、生命現象の理解や創薬につながる大きなニーズがありながら、決め手となる解析手法がなかなか見つからないという、もどかしい状況が続いていました。

可能性を拓いたクライオ電子顕微鏡
そんな中で登場したのがクライオ電子顕微鏡です。「クライオ」は「冷やす、低温」という意味。基本的な構造は従来の電子顕微鏡のままですが、その名の通り、装置内が液体窒素で冷やされています。この冷えた装置に、液体に近い状態のまま凍らせた試料を挿入します。試料を冷却していることで電子線による試料の損傷も抑えられます。これによって、電子顕微鏡による生体分子の構造解析の可能性が一気に拓けました。
一見、単純そうに思われるアイデアですが、この技術は2017年にノーベル化学賞を受賞しています。生体分子の構造解析は、それほど重要な課題だったのです。とりわけ画期的だったのは、カメラと解析技術の進展です。今どきの構造解析は、装置そのものの性能だけでは不十分で、精密な画像を撮影できるカメラと、そのデータを処理して立体的な画像を構築するためのアルゴリズムがなければ成立しません。動画撮影による膨大なデータを扱うことのできるクラウド技術やパワフルなコンピュータも不可欠です。これらの技術がちょうどよいタイミングで開発され、組み合わされて、クライオ電子顕微鏡は力を発揮できるようになりました。
コロナウイルスのスパイク部分の構造解析にも、クライオ電子顕微鏡が活躍しています。スパイクの先端部分の構造は、感染の前後で変化します。感染前の状態に固定化する抗体医薬ができれば、有効な対策になります。発生間もない時期に、こういった構造解析がタイムリーにできたのは、クライオ電子顕微鏡の優れた性能と扱いやすさによるところが大きいのです。

希少疾患の治療薬を探す
現在注力しているのは、滑膜肉腫という希少ながんの治療薬開発です。きっかけは、家族がこの病気に罹患したことでした。告知された時、即座に主治医に共同研究を申し入れ、遺伝子を提供してもらい、その解析から始めました。二つのタンパク質が融合することが原因となっていることは分かっているのですが、発症までのメカニズムはまだ謎です。この奇妙な融合タンパク質が本来の正常なタンパク質を追い出すことが、がん発症の引き金になるのではないかと言われており、構造解析によって、その一端を捉えることに成功しました。ここで決定的な役割を果たしたのも、クライオ電子顕微鏡を使った精密な解析です。王道の医学的な研究ではなく、自分が得意な構造解析からアプローチすることで、病気に対する知見が多角的になるはずです。それが功を奏し、もう少しで治療の手がかりが見つかりそうなところまできています。
こういった希少疾患の研究は、大手の製薬会社などではなかなか手をつけることができませんから、アカデミアでこそ取り組むべきことです。かなりチャレンジングなテーマですが、筑波大には、連携協力がしやすい環境があるのが、何よりの強み。いろいろな人の力も借りながら、比較的短期間で、想像以上の成果が得られているという手応えがあります。

不人気な分野が一躍最先端に
大学院生の頃はウイルスの研究をしていましたが、周りの研究者たちの実験スピードの速さに驚かされました。勝ち目がないと思い、少し分野を変えようと、相談した先生に勧められたのが電子顕微鏡の研究でした。何も分からない状態から、とにかく取り掛かってみました。何年もかけてデータを集めて一つの構造を導き出す、そんな地道な研究でしたが、この分野を専門にしている人は少なく、自分にもチャンスがありそうに思えました。
とはいえ、当時の構造解析の主流はやはりX線。分解能もいまひとつで、目立った技術革新もなかった電子顕微鏡は不人気で、研究に見切りをつけて、X線の分野へ移行する人もいたほどです。しかし、クライオ電子顕微鏡と出会って、光が見えてきました。
クライオ電子顕微鏡は、普通の電子顕微鏡とは異なり、国内でもごく限られた研究機関にしか設置されていません。その一つが筑波大です。2台を導入し、企業も含めて他機関の研究者も使えるように運用体制を整えて、この3月から利用を開始しました。すでに、数ヶ月先まで予約が埋まっており、思うように自分の研究に使えないこともしばしば。しかし、それだけ期待の大きな装置だということがうかがわれます。ただ、自動化が進んでいるものの、質の高い解析結果を提供するためには、システムや試料についての専門的な知識とスキルを持ったオペレーターの力が重要で、そのための人材育成も急務です。

使えるものは何でも使って
研究の基本方針は「見たいものを見るためには何でも使う」。目的とする構造解析のためには、クライオ電子顕微鏡だけではなく、全国にあるさまざまな分析装置を利用します。だからこそ、筑波大の装置も、多くの研究者に使ってもらいたいと考えています。創薬の研究は、途中で頓挫してしまうものも少なくありませんが、社会全体にとって必要な研究です。臨床で使える薬剤の完成に向けて、最後まできちんとやり遂げる、その姿勢が崩れることはありません。

 

筑波大学生存ダイナミクス研究センター
岩崎プロジェクト(構造ダイナミクス)
岩崎教授の写真
定まった構造を形成しないタンパク質は数多く存在し、しかもそれらは病気の原因となることが多いが、構造が特定できなければその働きを予測することは困難である。希少疾患である滑膜肉腫の原因となるタンパク質もその一つで、このような難敵を相手に、さまざまな構造解析の手法を駆使して、このタンパク質ががんを引き起こすメカニズムの解明とそれに対する創薬に挑む。ライフサイエンスは、ビッグサイエンス。他分野の専門家とも積極的に協働して研究を進めている。
(研究室URL: https://r.goope.jp/tsukuiwaken/free/introduction_lab)

(文責:広報局 サイエンスコミュニケーター)