突然だが、あなたの人差し指を見てほしい。指紋しか見えない? いやいや、およそ百万個もの微生物がびっしりとついているではないか。微生物とは、我々の目には見えないぐらい小さな生物の総称である。ミカヅキモなどの微細藻類やゾウリムシ、菌類、深刻なパンデミックを引き起こすウィルスも微生物として扱われている。その中で今回、注目するのは「細菌」だ。細菌は土壌や空気中、腸の内壁などあらゆるところに存在する。また、細菌は個体同士が集まって1つの集団を形成していることが知られている。例えばキッチンの排水溝がヌメヌメしているとき、そのヌメヌメの正体は細菌の集団なのだ。さらに、そのような集団内で細菌同士はコミュニケーションをとっている。今回は、細菌集団におけるコミュニケーションについて研究されている豊福雅典先生にお話を伺った。
細菌が送る手紙って何?
細菌は単細胞生物である。単細胞生物は、ただ分裂によって増えるしか能がないと思われているかもしれない。しかしながら、細菌同士はコミュニケーションという非常に高等な戦略を使用している。このコミュニケーションに関わっているのが「膜小胞」である。膜小胞とは文字通り、膜で覆われた小胞を表す言葉だ。細菌は、自分で合成した生体分子を膜で包んで、他の細菌に届ける仕組みを持っている。膜小胞に包まれた生体分子が他の細菌に届いて受容されると、他の細菌に伝えたいメッセージが伝達される。つまり膜小胞は、細菌同士が集団内で送り合う”手紙”である。
さて、膜小胞が形成されるメカニズムについては、従来の生化学的な解析から、細菌の外膜がたわんで膜小胞が作られる「ブレビング」というだと予想されてきた(図1)。しかし、ブレビングだけでは説明出来ないことが多くあった。その1つが、細菌が持つ膜の構造にある。細菌を分類すると、グラム陰性細菌とグラム陽性細菌という2つのグループに分けられる。そして豊福先生が主に研究で用いるグラム陰性細菌には、外膜と内膜という2枚の薄い膜が存在する(図2)。グラム陰性菌の場合、外膜がたわんで膜小胞が形成されるブレビングの機構では、核酸などの細胞質内の生体分子がどのように内膜を通過して外膜に包まれるのかが分からなかった。一方で、グラム陽性細菌の外膜は分厚いペプチドグリカン層に覆われている。従ってどのように膜小胞が細胞壁を通過するのかを説明できずにいた。そのため豊福先生は、膜小胞の出来方にはブレビング以外の方法があるのではないかと考えた。
膜小胞が細胞の破裂によって出来ることを新たに発見!
豊福先生らのグループは、膜小胞が形成される過程を明らかにするため、超解像顕微鏡を用いて、細胞が瞬間的に破裂して膜小胞が形成される過程を撮影することに成功した。
また、この仕組みには細菌間で保存性が高い細胞壁分解酵素が関与していたため、先生はグラム陽性細菌でも同様な機構で膜小胞の形成が起きるのではないかと考えた。予測は見事に的中し、細胞壁が分解されることで小胞が形成される過程が、グラム陽性細菌でも起きる瞬間を撮影できた(図3)。
膜小胞が破裂によって形成される際、細菌は破裂した瞬間に死んでしまう。豊福先生が論文を出した当時は、その点について海外の研究者から強く批判された。何故なら、ほとんどの研究者は「膜小胞は生きている細胞から出来る」という定義でブレビングに関する研究を進めてきたからである。そこで豊福先生は、細胞の破裂によっても膜小胞は形成されるという確信を持って、これでもかと証拠を集めて提示することで、最終的には自身の説を認めてもらえたのだと嬉しそうに語ってくれた。
微生物が持つ不思議な魅力とは
卒業研究から現在まで、微生物の研究を続けている豊福先生。インタビューの最後に、微生物そのものの魅力について伺った。豊福先生はこう語る。
「微生物では、遺伝的な普遍性と種の多様性の両軸が見られる点が1つの醍醐味です。まず普遍性の例だと、セントラルドグマの保存性とか。セントラルドグマでは、DNAからmRNAが転写されmRNAが翻訳されることでタンパク質ができます。これは、微生物を含め生物全体で保存されている極めて重要なプロセスです。一方で、多様性を示す細菌の種数については今も結論が出ていません。この両軸を併せ持つ微生物の研究こそ、『生命とは何か』という生物学の源泉とも言える問いの答えにたどり着くのではないかなって思います。」
微生物の世界では、例えば細菌同士のコミュニケーション方法など、基本的な現象すら解明されていないことが山のようにある。我々の目に見えない微生物に対し、最新の解析技術でアプローチしていくことで、いつか想像を遥かに超えた新たな世界が見える日がやって来るのだろうと筆者は感じ、胸が高鳴った。