独自スタイルな珍渦虫ライフ ~未知の生き物の生き様に迫る~

代表者 : 中野 裕昭  

皆さんの中には、UMA (未確認動物: unidentified mysterious animal) や地球外生命体のような、「未知の生き物」について想像を巡らせたことがある方もいるでしょう。しかし、地球上の生き物のことでも、私たちがよく分からないことは案外多いものです。

そんな謎多き生き物として今回ご紹介したいのが、珍渦虫 (ちんうずむし) という体長が0.5~数 cmほど、中には20 cmに及ぶこともある、ひも状をした海の生き物です。驚くべきことに、珍渦虫には、眼はなく、口はあるけど肛門はなく、手足もなく、脳のようなものもないのです。一体どんな生活をしているのか、皆さんも気になってきませんか?

そこで、今回は珍渦虫を対象とした研究をされている、下田臨海実験センターの中野裕昭先生にお話を伺ってきました。

 

珍渦虫の食べ物の謎

私たちの生活の基盤が衣食住にあるように、生き物の生活について知るときも、食べ物の情報と住んでいる環境の情報は欠かせません。中野先生に尋ねたところ、珍渦虫は水深100~3,700 mほどの深い海の底を這っていて、二枚貝の仲間を食べていると言われているとのことでした。「言われている」、というのも、まだ誰も珍渦虫の食事シーンを目撃したことがないのです。しかも、珍渦虫の見た目はとても貝を食べられそうにはありません。珍渦虫の体内から検出されたDNAの情報と、珍渦虫の近くに生息していた貝のDNAの情報が一致していたことから、貝を食べていることが推測されるようになりました。

中野先生も生きている貝の中身をとって食べているというよりも、貝の死骸や糞、粘液などを食べているのではないかと考え、それらを珍渦虫のいる水槽の中に置いてみたものの、どれも食べなかったそうです。しかし、何も餌を与えずとも住んでいた場所の泥と海水さえあれば1年くらいは生きていられるとのこと。お話を伺う前より、謎が深まります。

 

珍渦虫の子供時代!?

図 2 珍渦虫の幼生 (中野先生提供)

中野先生は珍渦虫の生活について、世界で初めて発生の様子を観察されています。意外にも、珍渦虫にはオス・メスの区別があるのですが、実際に卵や精子を出すところを見なければ、見分けることはできません。珍渦虫は、卵から生まれてから幼生の期間を経て、1週間くらいで成体によく似た姿になります。生まれてから成体に似た姿になるまでの期間が短いのは、幼生には口も無く、栄養を摂ることができないからだと考えられています。しかし、成体が海底を這っているのに対し、幼生は泳ぐことができるそうです。成体でさえ単純な体のつくりなのに、さらに成長途中の幼生がどのように泳ぐのか、興味深いところです。

 

他のどんな生き物にも似ていない珍渦虫

よく知らない生き物のことを調べる時に、図鑑を使うのも定番の方法ですね。図鑑で生き物のことが調べられるのは、生き物たちの特徴が、見た目や生活が似ているもののグループごとに紹介されているからです。では、珍渦虫は他のどんな生き物と同じグループに属しているのでしょうか。

実は、珍渦虫は、その独特な体のつくりとDNAの情報から、今まで見つかったどの生き物とも違う、新しいグループの生き物ではないかと考えられているのです。このように、生き物のグループが新しく作られるのは、20~30年に一度の非常に珍しい出来事なのだそうです。そんな大イベントを引き起こしてしまうほど、珍渦虫は個性的な生き物なのです。

珍渦虫が属していると考えられている、新しい生き物のグループは珍無腸 (ちんむちょう) 動物と呼ばれ、このグループが他のどんな生き物のグループと似ているのかについては、まだはっきりしたことが分かっていません。それでも、中野先生によれば、珍無腸動物の位置づけは2つの説に絞られているとのことでした。

1つ目の説は、珍無腸動物は、後口動物のグループの1つであるという説です。私たちが属している哺乳類というグループは、両生類や爬虫類などと一緒に脊椎動物というグループに含まれ、脊椎動物はホヤなどとともにより大きなグループである脊索動物を形成します。脊索動物と、ウニやヒトデなどが属している棘皮 (きょくひ) 動物、ギボシムシなどが属している半索 (はんさく) 動物というグループをまとめた、さらに大きなグループを、後口動物と言います。

2つ目の説は、珍無腸動物は前口 (ぜんこう) 動物でも後口動物でもない、左右相称 (さゆうそうしょう) 動物のグループであるという説です。基本的に、生まれてくる時に肛門の後に口が作られる後口動物に対して、生まれてくる時に肛門より先に口が作られるような生き物のグループを、前口動物 (旧口動物) と呼びます。前口動物には、昆虫やエビ・カニなどが属する節足動物や、貝やイカ・タコなどが属する軟体動物などのグループが含まれています。前口動物と後口動物を合わせたグループを、左右相称動物と呼びます。これまでは、前口動物と後口動物を合わせたグループが左右相称動物と呼ばれてきましたが、そこに新たに珍無腸動物が加わる可能性があるそうです。

図 3 珍無腸動物の位置づけに関する2つの説 (筆者作成、イラスト出典はいらすとや)

グループとグループがどれくらい似ているかは、それらのグループがどれくらい昔に2つのグループに分かれたのかを示していると考えられています。つまり、これらの説は、珍渦虫と私たちがどれくらい昔まで同じグループの生き物だったかを教えてくれているのです。1つ目の説を使えば、珍渦虫はイカや昆虫より最近まで私たちと同じグループの生き物だったことになります。眼も手足も脳もなく、こんなに謎に満ちた生態なのにイカや昆虫より最近まで私たちと同じグループの生き物だったかもしれないなんて、やっぱり珍渦虫は不思議な生き物です。

 

まだ誰も見ていない生き様を追う

図 4 珍渦⾍の標本を紹介する中野先⽣

それにしても、中野先生と珍渦虫の出会いはどこにあったのでしょうか。元々、後口動物と、人と被らないような研究テーマに取り組むことに関心があったという中野先生。先生が珍渦虫の研究を始めようと思ったきっかけは、大学院生時代に珍渦虫が新種の後口動物かもしれないという発表が出たことでした。人と被らない研究テーマと言っても、珍渦虫を研究している研究者は少ないどころか、現在、日本では中野先生ただ1人だというのですから、驚きです。「ちんうずむし」、という呼び名も、中野先生が他の研究者とお話ししているうちに定着してしまったものなのだそうです。

前例の無い研究テーマでは、採集場所や飼育方法、実験手法など、研究に必要な全ての手順を1から開拓しなければなりません。中野先生も、様々な試行錯誤を繰り返しながら、今日まで研究を続けられています。卵の発生の瞬間や幼生が泳ぐ瞬間を観察するときには、1日から2日間の間、1時間おきに水槽を確認していたそうです。珍渦虫の研究を始めたスウェーデンの臨海実験所から日本に戻ってきた時には、学会などで知り合った研究者や各地の漁業関係者に声をかけながら4~5年ほどかけて採集場所を開拓したとのことで、それでも想定より早く採集場所が見つかって良かったと話されていました。こうしたエピソードからは、新発見の裏にある地道な研究の過程が垣間見えます。

一方で、中野先生が研究を続けてきて嬉しかったのは、自分で初めて珍渦虫を捕まえた時や、泳いでいる幼生を初めて観察した瞬間だそうです。誰も取り組んでいないテーマで研究をする醍醐味について、方法を確立しただけでも成果になるし、その過程も面白いと語って下さる様子からも、先生が研究を楽しまれていることが伝わってきました。

今後は、珍渦虫の発生の過程の中でも口が形成される瞬間や、成体への変態の瞬間、そしてものを食べる瞬間などを観察してみたいという中野先生。皆さんも、下田臨海実験センターで、世界初の瞬間に立ち会ってみませんか?

【取材・構成・文:筑波大学生物学類  及川知穂】