なんでも分解して 仕組みを知りたかった メカ好きの少年が 大学でコンピューターと出会い やがてAIの未来を切り拓くリーダーへ
櫻井鉄也教授
筑波大学 システム情報系
櫻井 鉄也(さくらい てつや)教授
PROFILE
1961年岐阜県生まれ。
1986年名古屋大学大学院工学研究科博士課程前期課程修了。博士(工学)。
現在、筑波大学システム情報系教授・筑波大学人工知能科学センター長。
専門分野は数理アルゴリズム、とくに潜在空間による知識発見やデータ解析、ニューラルネットワーク計算などの AIアルゴリズムの研究を行っている。
固有値解析アルゴリズムに関する研究業績により平成30年度科学技術分野の文部科学大臣表彰「科学技術賞」を受賞。
櫻井鉄也教授
筑波大学と米ワシントン大学
AI分野におけるパートナーシップに合意
筑波大学は4月、米国ワシントン大学(ワシントン州シアトル)、米国のNVIDIA社、Amazon社とともに、人工知能(AI)分野におけるパートナーシップで合意しました。このパートナーシップは、10年で5000万ドル(約75億円)の支援を受けるものです。
岸田文雄首相の訪米の機に、首都ワシントンの商務省で調印式があり、レモンド商務長官などの立ち会いのもと、筑波大学・永田恭介学長が調印をしています。
いまやメディア上でAIの話題がない日はありません。このパートナーシップに中心的に関わってきた、筑波大学システム情報系で人工知能科学センター長の櫻井鉄也教授。メカ好き、分解好きの少年が大学でコンピューターに出会い、今に至る。櫻井教授に、AIの未来を聞いてみました。
Q 今回の日米のパートナーシップは、AIの研究、人材育成、アントレプレナーシップ及び社会実装を目的としたものです。調印式にも臨んだ櫻井教授は、基本合意を受けて、5月初旬にシアトルに行かれ、ワシントン大学の方々とお話しされたそうですが。
今回はシアトルでワシントン大学とアマゾン本社を訪問して向こうの何人かの人と話をしてきました。
基本的な契約のひな形のようなものが今回提示されて、それをベースに具体的なディスカッションをしようという段階に入っています。8月のお盆明けにはワシントン大学、NVIDIA、アマゾンの人が、アメリカから筑波大学に来て、そこで最終的な話し合いにしましょうということになりました。
Q ワシントン大学へは何回か行かれていると思いますが、教授はワシントン大学のAI研究をどのように評価されていますか。
ワシントン大学はシアトルにあることもあり、マイクロソフトとの関係が深いですね。またシアトルには、マイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏が立ち上げたアレン人工知能研究所などもあります。そうしたこともありますので、ワシントン大学のAIに関する研究は、かなり層が厚いと思います。そのほか、シアトルに拠点のあるボーイングなどともワシントン大学は連携しているので、例えばものづくりといったところへのAIの展開など、応用面でもいろいろ取り組んでいるという状況ですね。
Q 櫻井教授は首都ワシントンDCでの調印式にも立ち会われましたが、これは教授がこれまで30年以上ご研究されてきた一つの成果の表れだとも思います。基本合意に至ったということ、どのようにお感じでしょうか。
これが筑波大学のAI研究を発展させる良いきっかけになっていますし、ここから次のステップに入っていくのだろうな、というふうに思っています。
Q アメリカと日本がAI技術において連携するということについては、各メディアなどでも、「この時代において非常に重要なことである」というようなことが言われています。ご自身は、日米のAI分野における連携の重要性をどのようにお考えでしょうか。
やはりアメリカでは、民間も含めるとAIの研究に投資している額というのは桁違いに大きくて、そういう意味で非常に進んでいる国だというふうに思います。その一方で、日本もしっかりとキャッチアップしていくということが必要ですが、その時には日本だけで何かしようというよりは、アメリカとしっかり組んで発展させていく、というのが良いのではないかなと思います。
櫻井鉄也教授
桜が咲き誇るワシントン大学構内
晴れた日には日系移民から 「タコマ富士」と呼ばれたレーニア山が望める
Q 櫻井教授はAIへの取り組みを、1990年あたりで、AIという言葉があまり馴染みのない時期からずっとやっておられたと思います。これまでの研究について少しお聞かせいただけますしょうか。
AIというのは、データがあって、入力をして、それに対してAIが処理をして何か出力が出てくるという、その出力が何か目的とするものと一致するようにAIの中の処理を決めるということです。これは入力と出力の間の、数学でいうと関数を決めるという問題になります。私が昔やっていたのは、その関数を特に非線形な近似方法で決めていくという研究だったのです。AIのディープラーニングというのは、まさしく非線形近似になるので、入力があってディープラーニングがあって出力があって、その中を決めるということです。ですからディープラーニングに非常に近いテーマをやっていたということになります。
櫻井鉄也教授
Q その頃は、現在のようなAIになるというようなことが見えていた、ということでなかったのでしょうか。
AIというのはもちろん、随分前から概念はあって、いろいろなやり方が考えられていたのですが、その頃やっていたのはもうちょっと広い一般的な枠組みの中で、何か入力と出力があるときにその間をつなぐ関数を決めるという、関数近似理論という数学の枠組みでやっていたということになります。
もともと、AIという言葉自体は1950年代に提案されています。実はその頃は、比較的すぐにAIが作れるのではないかと思われていたのですが、実際やってみると、なかなか難しいことが分かってきました。当時は、AIが完成したかどうかという判定として、壁の向こうにいる存在がAIなのか人なのか、会話をしても分からなかったら、これは人工知能がちゃんとしっかりできたというような判定をしようとか、そういうことも言われていたのですけれども、実際やってみると、そう簡単にはいかないということになってきた訳です。
ディープランニング自体も、もともとの考え方は結構昔からあったのです。その後もいくつかアプローチもあったのですが、やはりなかなか思うようなものにならないということで、今日までの間に何度かブームがあったということですね。
Q そうなるとAIのブームは、この60年くらいで何度かあったということですね。
櫻井鉄也教授
最初にそういう概念が生まれて、これができたらすごいよねっていう話になった時が最初のブームだと思います。ただ、やってみたら思ったより簡単にはいかないというので、5年とか10年くらいでブームは去ってしまいました。
その後も、これならブレークスルーになるのではということで、ブームになったのですが、やはりなかなか思うようにはいかないという状況が繰り返されました。特に、ルールベースと言って、色々なルールをいっぱい積み上げていけば、最後は何でも考えられるようなAIになるのではないかと考えられた時もあるのですが、これも思ったよりルールが複雑すぎてうまくいかなかったということで、ルールを人間が与えることはやめて、データからルールを全てAIに考えさせてしまうというやり方になったことで、今のディープラーニングの時代ということになると思います。
Q スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年 宇宙の旅」では、コンピューターのハルが人間と対峙していきます。あれは、1968年製作の映画なのですが、それ以前から概念としてのAIというものはあったということなんですね。
ああいうふうにSFの世界で人間のように振る舞うAIとか、会話できるAIというのは、概念としては既にあったのです。
Q でもやはり、ここ最近でAIが急速に進んできたという感じがありますが、それにはインターネットという存在の影響もあったのでしょうか。
そうですね。インターネットでデータが大量に手に入るとか、計算機のパワーが桁違いに速くなってきたとかということがあるかと思います。それからディープラーニングもすごく改良されてきて、2015年くらいに急に性能が上がったというのがあって、そこからディープラーニングが注目されました。そういった感じで注目されたのが10年近く前ですけど、実はまたブームはすぐ終わるのではないかというふうに言われていたのです。ところが、それが全然そうではなくて、新しいことがどんどん見つかってきて、ある意味、ブームがずっと続いてという状況になっています。
Q 現在は、10年くらい前からブームが始まって、それがずっと続いているということですが、教授は最初は非線型の近似法をやっておられて、AIの第一人者になられた訳ですが、ご自身ではAIの今後の可能性についてどのようにお考えでしょうか。
今のやり方がそのまま全部実現できるかは分からないのですが、きっとAIを使った色々な処理で、これまでは考えてもいなかったようなことがどんどんできるようになってくるので、ブームというよりは、かなり社会のインフラ的なものになっていくのではないかと思います。
Q 医療分野とかスポーツ分野とか、社会を構成している重要なところでも、安心して使うことができるようなAIを展開していきたいとお話をされていますね。
例えば病院にあるデータというのは患者さんのプライバシーを含んでいるので、病院から外に出せないというのがありますが、その一方で、一つの病院に集まるデータでは足りないことが多くて、できるだけたくさんの病院のデータをうまく使ってAIが学習すれば、もっといいAIになるだろうというのもあります。そうした時に、元のデータをそのまま集めるわけにはいかないので、AIの学習には使えるものの人間が見ても内容がわからず、また元のデータに戻すこともできないようにデータを変換して、データのプライバシーを守りながらAIが学習する、というような技術があると便利です。こういったAIの安全性や信頼性を高めながらデータの活用を行う技術は、医療やヘルスケア分野、金融、ものづくり、農業、教育、創薬など、幅広い分野で役立つものになると考えています。
Q まさに安全で信頼できるということだと思いますが、そういう分野を研究されている方は、日本にいらっしゃるのでしょうか。
我々と同じやり方というのではないのですが、例えばデータを暗号化してしまうとか、あるいはデータはそのままだけど機械学習のモデルだけを共有するという方法、これはGoogleが提案していているのですが、あとはデータにノイズをうまく入れて、プライバシーに関係する情報は分からなくなる一方で、ある程度の機械学習はできるようにするなど、いくつかのやり方で取り組んでいる方がおられます。
Q AIばかりの話でしたが、ここで少し、息抜きとか趣味というようなものも伺えますでしょうか。
そうですね、もともとはすごいメカ好きですね。メカが好きなので、車とかバイクとか、とにかくメカです。アマチュア無線とかも機械に触れて喜んでいますし、シンセサイザーとかも、すごいスイッチがいっぱいあって楽しいとか。
Q シンセサイザーって、1970年代に作曲家の富田勲さんで有名になった印象がありますが、懐かしい…。
ちょうどその頃ですね。シンセサイザーを親に買ってもらって。小さい頃でしたので、訳も分からずにいじっていました。
シンセサイザーが音を作るしくみなど、その頃は分からなかったのですけれど、大学になってフーリエ変換とか学んで、これがシンセサイザーの原理だったんだと気づいて。
大学は工学部でしたが、応用物理でした。情報工学はまだ大学院にしかなくて、学部にはなかったのです。
それと計算機も、まだあの頃は中学ぐらいだと、本当に電卓の大きなやつみたいなものが学校に一台ある程度だったのですが、それを一人で占有してプログラムを作っていました。
だから、コンピューターはもう趣味で、大学生の時も自分で買って、自分で本を見て覚えて勝手にプログラムを組んでいました。
櫻井鉄也教授
(大学会館に展示してある
1996 年当時のスパコン前で)
Q そうなのですか。シンセサイザー少年が、大学に入ったらコンピューターになって...
研究室も、メインフレーム、大型コンピューターがふんだんに使える研究室ということで選んだのです。そこがコンピューターのアルゴリズムを考えるような数学の研究室だったので、コンピューターのための数学を考えるということをしていました。
Q じゃあ、もう若いころからそういうご興味があってということですね。
そうですね。今思うと、やっぱりメカ大好き、機械大好き。バイクでも、例えばここにエンジンがあるとしますよね。複雑な構造をしているのですが、このエンジンのところに乗って、いかにカーブを速くバイクで走り抜けるかっていうのを、一生懸命やったりとか。結構飛ばしてましたが。(笑)
Q そういう物理が好きで解析するというところが、面白いですね。
ある時、まだ小さい頃ですけど、電磁石を作ろうとして。あれは電線を巻けば巻くほど強くなると思って、ひたすら巨大な電磁石を作ったのですが、電池を1 個2 個とつないでもキリがないので、じゃあと電灯線の100ボルトをつないだら破裂したんですよ。部屋があちこち焦げちゃったと、ちょっと恐ろしい経験ですよね。
そういえば、真空管ラジオの中って電圧がとても高いんですけど、やっぱり子供でよく分からずで、火花飛ぶから喜んだりとか。家の中の時計は全て分解したりとか。
Q やっぱり天才だったんですね。
いやいや、困ったやつですよ。何でも分解してしまうという。
櫻井鉄也教授
Q そういえば、AIも言ってみれば、入り口と出口の間のところを関数で決めていますから、分解しないとダメですよね。
やっぱりそこの中の原理っていうか、中をしっかりと調べていくというのが、ポイントですね。
Q 中を調べていく。子供の時から中を調べていて、現在も中を調べている。過去と現在が線で結ばれていますね。
そんな感じですね。今思えば。(笑)
Q さて、これから10年間、ワシントン大学などとの共同研究となります。10年後はなかなか想像できないですが、どうなっていると教授は思われますか。
AIの世界では、今後10年はできないと言われていたものが、1年後にはできていたみたいなことが今まで何回もあります。囲碁でトッププロに勝ってしまったとか、最近の大規模言語モデルもそうですが、いつ何が出来るようになるかが本当に分からないですね。ですので、今できないと思っているものが急にできたというのが、いくつか出てくるだろうと思っています。そうした中で、筑波大学の中にAIの拠点ができて、世界に発信できるような研究成果がここから出てくるような、そういう場所が10年後にはできているといいなと思います。
まずは交流できる拠点を整備していくということで、筑波大学の研究者や学生がワシントン大学に行ったり、NVIDIAやアマゾンに行って一緒に向こうで研究するということをやりたいですね。また逆に、向こうの人たちも筑波大学に来て、キャンパスの中で一緒に共通のテーマに取り組んで課題解決にあたるとか、常に両方の拠点に何人かが一緒にいるみたいな、そういう状況を作りたいと思っています
Q 今日はお時間をいただき、ありがとうございました。