小西 暢子 さん
PROFILE
1967年 大阪生まれ
1990年 筑波大学卒業(体育学専攻)
2018年 筑波大学大学院(人間総合科学研究科博士前期課程体育学専攻)TIAS修了
大阪市長居・舞洲障がい者スポーツセンター勤務
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 スポーツ局 水泳競技副スポーツマネージャー(パラリンピック)を経て、現在は愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会組織委員会(非常勤)クラシフィケーションマネージャー。
2006年、World Para Swimming公認PIテクニカルクラシファイアの資格を日本人で初めて取得した。
オリンピックに続いて8月にはパリでパラリンピックが開かれます。筑波大学関係者はパラリンピックで66個のメダルを獲得するなど、障がい者スポーツでも先導を行っています。そんな筑波大学の卒業生で、パラリンピック大会で様々な役割を担っているのが小西暢子さんです。パラ競技大会の根幹である、選手のクラス分け業務(クラシファイア)の第一人者でもあります。競泳や水球をはじめ、幼少期から夢中になってきたスポーツでフェアネスを追求し、現場で選手を鼓舞し続けてきました。2024年5月に母校を訪問され、今のお仕事につながったルーツとご縁について話しました。
Q パラ水泳での活動についてお聞かせください。
パラリンピック大会(シドニー・アテネ・リオ)等の代表チーム引率、強化指定選手合宿等での指導、国内/国際パラ水泳競技会でのクラス分け業務(クラシファイア)などに携わって きました。
クラシファイアは、パラ水泳国際競技団体であるWorld Para Swimmingが公認する競技役員で、選手の障がいについて機能やその程度を評価し、競技するクラスを選手ごとに判定する業務です。例えば、片前腕欠損の人と、両腕がない人とが競うのは不公平ですよね。そこで、残存機能の違いが競技結果に影響しないよう、ほぼ同じ程度の機能がある競技者をグループに分類して競技が行われます。このように分類することをクラス分けと言います。
2012ロンドンパラリンピック競技大会では、パラ水泳チーフクラシファイアを、2014WPS欧州パラ水泳選手権でもチーフクラシファイアを務めました。また、国際クラシファイアを養成するインストラクターの資格も取得しています。国内では国内競技役員養成研修の講師、日本パラリンピック委員会クラス分け委員会委員も務めています。
Tokyo2020にて
(Tokyo2020にて)
福嶋助教
(ロンドン2012にて)
Q クラシファイアには、メディカルとテクニカルの二つがあり、小西さんはテクニカルを担当されていると伺いました。
テクニカルクラシファイアは、水泳の泳ぎを見るというパートを主に担当します。国際大会では海外の選手のクラス分けをするので、英語でのコミュニケーション能力が必要ですし、障がいと泳ぎについての理解が必要とされる業務です。メディカルクラシファイアは、医師または理学療法士が、脊髄損傷その他の障がいによる身体の機能について筋力や可動域などを評価します。テクニカルクラシファイアは、その評価手順を一緒に見て、その後メディカルクラシファイアと一緒に泳ぎを確認していきます。ですので、メディカルクラシファイアとのディスカッションをするための知識も必要になってきます。
Q 小西さんが日本初のパラ水泳クラシファイアだったのですね。
国際クラシファイアの取得を2006年に取得しました。資格を取得するための研修があるのですが、日本パラリンピック委員会(JPC)に助成制度ができるまでは、自己負担で行ったときもありました。
ただ、今となっては、プライスレスなエクスペリエンスだったと思っています。研修は、その大会が行われているところなので、場所は色々ですね。私が行ったのは、カナダ、あとはチェコとデンマークに行きました。時差ボケの中でヘロヘロになりながらでしたが(笑)。
クラシファイアの活動は、障害者スポーツセンターでの仕事を職場に調整をお願いして行かせてもらっていました。障害者スポーツセンターでは、いわゆる9時17時、週休2日の一般的な仕事ですが、クラシファイアはボランティアとしての活動です。
仕事とクラシファイア活動との両立は大変な時もありましたが、クラシファイアとして日々いろいろな選手を見て、こういう障害の人はこのぐらい泳げる、という例を見るので、自分が現場(障害者スポーツセンター)に戻って指導するような時でも、「いやいや、できるできる」と指導者として前向きになれましたし、教え方の工夫に繋がるヒントをもらいました。そういう意味でも、クラシファイアの活動は面白かったですね。
つづく…
(全編は7月末までに公開の予定です。)