表稼業としての生物学と、裏稼業としての哲学―意識の謎を“両輪”で探る―

代表者 : 鈴木 大地  

想像してみてください。夕方、あなたは家族とペットの犬と共に散歩をしています。空には夕陽が見えてその景色に綺麗だなと感じました。家族に向かって「夕陽だよ。綺麗だね」と言うと、「そうだね、大きな夕陽だ。綺麗だね」と返ってきました。さて、あなたがたった今見ているその夕陽と横にいる家族が見ている夕陽は果たして本当に「同じ」でしょうか? 犬が見ている夕陽とあなたの夕陽は「同じ」でしょうか?

私たちは「意識」を持っていて、それによってこの世界をありありと感じ取っています。しかし、脳という物理的な存在から生まれるこの意識とは一体なんなのでしょうか。また、生物はどれくらい「同じ」意識を持っているのでしょうか。

今回は「意識の進化」を生物学的に、そして科学哲学的に研究している鈴木大地先生にお話をうかがいました。

一番根っこは「死にたくない」
表稼業としての生物学と裏稼業としての哲学。

鈴木先生が意識について、生物学と哲学の両面から探るようになった背景には、子供の頃から抱いていたある思いがあるそうです。

「小学校高学年のとき、『死ぬということ』というか、『自分というものが永遠に消えるということ』に対する恐怖感がありました。死ぬということには二面性があると思うんです。ひとつは死を考えるということは、反対に生きるってなんだろうということを考えることにもなると思っています。たとえば、生物が営んできた生き様とか、どうやって今の自分という生き物が生まれてきたんだろうみたいなことを考えることにも繋がると思うんです。だから進化が好きだし生物が好きなんです。そしてもうひとつは、死を通して自己がなくなるってどういうこと?っていうところで、死は意識と関係しているし、これはとても哲学的な問いです。そういう意味で生物学と哲学は自分の中で死を介して繋がっているんです。」

ヤツメウナギから探る視覚の進化と意識の起源
「意識」という言葉はそれだけでたくさんの意味を含んでいる多義的な言葉です。たとえば「注意」や「覚醒」、また「理性」や「感情」、さらには自分自身をメタ的に観察する「自己意識」など幅広い意味が意識という言葉には含まれています。

しかし、そこには「主観的に何かを感じる」という共通の特徴があります。我々はこの世界を眼で、鼻で、身体全体で主観的に感じ取ることができます。もしかしたら最初に意識が生まれたのは、このような「知覚」が生存の役に立ったからなのかもしれません。

知覚、たとえば視覚について考えてみましょう。視覚を獲得するためには像を形成できる「眼」が必要です。そして眼からの情報を処理するための「脳」も必要になります。脳や感覚器官の進化を調べ、知覚の起源を探ることで、意識の進化という複雑な謎を生物学的に研究することができるのです。

鈴木先生はヤツメウナギやヌタウナギという生物を研究対象にしています。ヤツメウナギやヌタウナギは脊椎動物の進化史において初期(約4億年前)に出現し、原始的な特徴を数多く保存したまま今まで生き残ってきたとされる現生生物です(図1~3)。そのため、これらの生物は脊椎動物の祖先的な形態や進化を探る上でとても重要です。

図1. ヤツメウナギ成体(全長約20 cm)

図2. ヌタウナギ成体(全長約30 cm)画像引用:吉本, 鈴木(2024)

図3. 脊椎動物の大まかな系統進化。ファインバーグ & マラット (2017). p. 46を参考に作成。画像引用:https://www.phylopic.org/

高校時代、アンドリュー・パーカーの『眼の誕生』という、眼の進化とカンブリア爆発の関係について書かれた本に感銘を受けた鈴木先生は「意識を知るためにはそれを生み出した脳や神経系の進化を知らなければいけない。そして、脊椎動物の脳の進化を考えるにあたって視覚の進化が重要になる」と思い、博士課程までは、脊椎動物や棘皮動物、軟体動物など様々な生物の形態の進化について研究していた筑波大学生命環境系の和田洋教授の研究室で、ヤツメウナギを対象とした視覚の進化的起源の研究を行いました。

その後、鈴木先生は脳の形態学的な進化だけではなく、機能面についても知らなければいけないと考え、当時ヤツメウナギの視覚の生理学的な研究をしていたカロリンスカ研究所のステン・グリルナー教授の研究室に入ります。そして、ヤツメウナギの視覚的な意思決定を支える神経メカニズムについて研究しました。

鈴木先生は現在、筑波大学で進化形態学と生理学の両方のアプローチで脊椎動物になるときに脳がどのように進化したのかを探っています。鈴木先生の研究の結果、初期脊椎動物の視覚の進化、それに伴う行動の進化について明らかになってきました。

相同な意識が非相同な神経基盤に支えられている―鳥類の視覚意識と哺乳類の視覚意識の相同性―
2024年に、鈴木先生は慶應義塾大学 文学部 准教授の田中泉吏先生と筑波大学 人文社会系 准教授の太田紘史先生と共著で『意識と目的の科学哲学』という本を執筆されました。その中の第一章では、「相同性」という概念を分析して鳥類と哺乳類の視覚意識がどれくらい「同じ」といえるかを考察しています。

 

進化生物学では、共通祖先に由来した同じ構造や特徴を「相同」といい、進化の過程で独立に獲得された構造や特徴を「相似」といいます。

鳥類も私たち哺乳類もこの世界を“視て”いる、つまり視覚意識があるとは思われます。しかし、実は鳥類の視覚の神経基盤と、哺乳類の視覚の神経基盤は異なっていることがわかっています。それでは、鳥類の視覚意識と哺乳類の視覚意識は「相同」といえるのでしょうか。果たして、鳥類と哺乳類は同じように“視て”いるのでしょうか。

図4. ヒトの脳における視覚経路
引用:田中, 鈴木, 太田 (2024). p. 9

視覚には意識的な視覚と無意識的な視覚が存在し、それぞれ背側経路と腹側経路という2つの神経基盤によって成り立っています。(図4)

哺乳類では、無意識的な視覚を背側経路が担っており、これは物体の位置を知ったり、その物体を手に取ったりするような視覚的な運動制御に関わっています。また、意識的な視覚を腹側経路が担っており、これは物体の形態や色の認識に関わっています。これらの視覚経路は中継部位として「外側膝状体」を経由することから「膝状体系」と呼ばれます。

視覚経路には他にも「上丘」から「視床枕」を経て腹側経路と同様に「後部頭頂皮質」に至る経路も存在します。こちらは「外側膝状体」を経由しないことから「膝状体外系」と呼ばれます。

視覚におけるこれらの経路の関係を示すために「盲視」という症状について取り上げてみましょう。盲視の症状を持つ患者は、視覚意識がないのにもかかわらず、何かを見ているような反応を示すことがあります。たとえば、盲視の患者にスクリーン上の映像を見せても「何も見えない」と答えます。しかし、投影されている文字が「X」か「O」かなどと質問し推測で答えてもらうと、偶然レベル以上に正確に答えることができるそうです。

盲視の患者は、一次視覚皮質(V1)を損傷しており、意識的な視覚を担う腹側経路を含む「膝状体系」で視ることができません。しかし、「上丘→視床枕→後部頭頂皮質」の無意識的な視覚経路である「膝状体外系」が失われていないため、ある意味で“視る”ことができます。(図5)このため、盲視の患者は“視えない”にも関わらず何かを見ているようなふるまいができるそうです。

鳥類は哺乳類と同じように「膝状体系」と「膝状体外系」に対応する経路を持っています。また、哺乳類の視覚系では「外側膝状体」を経由する「膝状体系」が発達しているのに対し、鳥類では、「膝状体外系」に相当する「視蓋→円形核→外套」という経路が発達しているという特徴があります。そのため鳥類は「視蓋」を損傷すると、色や形が判断できなくなります。「視蓋」は哺乳類の「上丘」と相同であり、「円形核」は「視床枕」に相当し、「外套」は哺乳類の「大脳皮質」に相当します。しかし、鳥類の「外套」と哺乳類の「大脳皮質」のニューロン配置は大きく異なっています。

「上丘」は哺乳類では「膝状体外系」の一部です。つまり、哺乳類では無意識的な視覚経路の一部分として使われている「上丘」が、鳥類の視覚経路においては主要な部分となっています。このことから、鳥類の視覚意識は盲視の患者のような無意識的なものであると考えることができるかもしれません。こういった背景から、「意識には哺乳類が持つような高度に発達した大脳皮質が必ず必要である」という「皮質中心主義」と呼ばれる立場が生まれました。

 

図5. 哺乳類と鳥類の主な視覚経路。GLd: geniclatis lateralis pars dorsalis
Simizu & Bowers (1999), 幡地 (2023) を参考に作成。

以上のように、鳥類と哺乳類では異なった神経基盤が視覚を担っており、鳥類に意識的な視覚があるかどうかについて様々な立場から議論がされてきました。

「哺乳類にも鳥類にも意識的な視覚があるように思われるのにも関わらず、その視覚を支える神経基盤は哺乳類と鳥類では相同ではない」我々はこのギャップをどのように解釈すればいいのでしょうか? はたして鳥類の視覚意識と哺乳類の視覚意識は“同じ”といえるのでしょうか? 鈴木先生たちは、これは相同性における多重実現つまり「階層離断」によるものであり、あくまで視覚意識それ自体は脊椎動物において相同であると考察します。

「階層離断」とは、哲学者のエレシェフスキーが考えた概念であり、「低次レベルで変化が起こって相同性が失われても、高次レベルでは形質が系統的同一性を保ちながら進化し、相同性が安定的に成立しうる」(田中泉吏・鈴木大地・太田紘史, 意識と目的の科学哲学, 2024, p.25)ことを指します。つまり、相同な構造が非相同なメカニズムで出来上がる、作られたものが一緒なのに作り方が全く違う。そんな不思議なことが生物には起こるというのです。例として、両生類と羊膜類における指の作られ方の違いが挙げられます。

「指」は四肢動物全体に渡って保存されている相同な構造のひとつです。カエルやイモリなどの両生類では、指は指間の細胞が外側に成長することによって作られます。一方、爬虫類や鳥類、哺乳類を含む羊膜類では、指は一部の細胞がプログラム細胞死 (アポトーシス) によって削られることによって作られます。このように、低次なレベル、つまり指の作られ方のメカニズムは両生類と羊膜類で異なっており、相同性は失われています。しかし、高次なレベルでの構造、つまり最終的に出来上がる指は共通祖先から由来したものであり、相同性が保たれています(図6)。

図6. 両生類と羊膜類の指形成メカニズム。東京工業大学.「酸素」が手足の形作りの進化に重要な役割を果たしていることを発見(https://www.titech.ac.jp/news/2019/044484)を参考に作成。
画像引用:https://www.phylopic.org/

視覚意識もこれと同様で、たとえ視覚の神経基盤が進化の過程で多様化したとしても、「一人称的視点から視覚情報を得る」という意味においては共通祖先から受け継いだものであり、相同であるということができます。このように、鳥類と哺乳類の意識がどれだけ同じなのか、もしくはどのように同じなのかという難問も「相同性」という生物学の概念を哲学的に考察することによって推測することができるのです。

自発的な勉強が糧になる
学生時代から、生物学だけではなく、哲学や言語、歴史など様々な学問に触れてきた鈴木先生。インタビューでは、そんな鈴木先生の学生時代の思い出についても語っていただきました。

「学名がわかりたいなと思ってラテン語を勉強したんですけど、いざ学名を見てみると気付くわけです。ラテン語の形をしたギリシャ語だって。それが半分くらいある。それで、人文系の秋山学先生の初級ギリシャ語の授業をとりました。せっかくやったんだから、もう少し続けようと思って中級の授業に行くと人文系の人はいなくて、秋山先生と1対1でアリストテレスの『動物発生論』を読みました。」

意識という難問を解くには様々な学問領域の知識を総動員する必要があります。しかし、鈴木先生から語られる言葉の節々には意識に関わらず、学問への純粋な好奇心が垣間見られ、学ぶことそれ自体を本当に楽しんでいることが伝わりました。

「授業で教えられることだけじゃなくて、自分の興味のあることを自分で学ぶ姿勢が糧になる。」そう鈴木先生は語ります。好奇心の赴くままに、貪欲に学ぶ姿勢が、鈴木先生の多様な現在の活動や研究に対する誠実な姿勢に繋がったのかもしれないとインタビューを通して思いました。

参考文献:
1) 吉本賢一郎, 鈴木大地. 脊椎動物の起源と円口類の進化. 生物の科学 遺伝 78, 21-31(2024)
2) トッド・E・ファインバーグ, ジョン・M・マラット [著]. 鈴木大地 [訳]. 『意識の進化的起源』(勁草書房, 2017)
3) 田中泉吏, 鈴木大地, 太田紘史. 『意識と目的の科学哲学』(慶應義塾大学三田哲学会叢書, 2024)
4) 東京工業大学. 「酸素」が手足の形作りの進化に重要な役割を果たしていることを発見. https://www.titech.ac.jp/news/2019/044484(2019)
5) Toru Shimizu, Alexia N Bowers. Visual circuits of the avian telencephalon: evolutionary implications. Behavioural Brain Research. 98:183-191, doi.org/10.1016/S0166-4328(98)00083-7 (1999)
6) 幡地 祐哉. ハト,霊長類,その他の脊椎動物種における視覚運動統合の種差. 比較生理生化学. 40:46-53, doi.org/10.3330/hikakuseiriseika.40.46 (2023)
7) Koji Ota, Daichi G. Suzuki, Senji Tanaka. Phylogenetic Distribution and Trajectories of Visual Consciousness: Examining Feinberg and Mallatt’s Neurobiological Naturalism. Journal for General Philosophy of Science. 53:459–476, doi.org/10.1007/s10838-021-09591-1(2022)

【取材・構成・文:筑波大学生物学類  中野渡泰輝】