ひらめきの秘密 〜答えの出ない時間を楽しむ人が、自分の道を切り開く〜

代表者 : 澤村 京一  

今、あなたは自分で思考する時間を奪われつつあることに気付いていますか?

すぐに正解が知りたい、無駄な時間を過ごしたくない。正解なのか不正解なのかどちらかにして、はっきりさせたい。そんなふうに、答えがない時間、不安定な状態に耐えられないという人は多いのではないでしょうか。

答えのすぐに出ない問いに対して、「〇〇について教えてください」とAIに丸投げし、誰かのまとめたわかりやすい回答に飛びついてしまう。それを続けていると、信頼性の高い情報を収集する力も、問題に対して自らの知識と経験を総動員し、いろいろな可能性を考える力も身につきません。

今回は、生き物の「進化」について、まさに簡単には答えの出ない問いを長年研究し続ける、筑波大学の澤村京一先生にお話を伺いました。研究とは、答えのない問いに対して向き合い続けること。すぐに成果が出なくとも、自分の頭でいろいろな角度から考え続ける、そんないわば「知の体力」のスペシャリストである澤村先生のお話から、考える力を養うヒントを探してみましょう。

ショウジョウバエが明かす種の分かれ道

図 1. 澤村研究室で飼育されているショウジョウバエの写真と、ショウジョウバエを拡大したイラスト(筆者作成)

澤村先生の研究室では、主にショウジョウバエを用いて進化遺伝学に関する研究が行われています。そう、民家周辺に生息し、台所などでも見かけることができる、あの「ショウジョウバエ」です(図1)。

澤村先生は主にこのショウジョウバエを用いて、1つの種が分かれて2つの種になる過程、すなわち「種分化」を研究されています。生物の授業で進化について習った人は、ヒトとチンパンジーが共通祖先から分かれていき、時間をかけて今のように別々の生き物になったと学んだことがあるかもしれません。このように、生物の進化の過程において、先祖の種から枝分かれして、別々の新しい種が生み出される現象のことを種分化といいます。地球はさまざまな生物であふれていますが、この種分化が繰り返されることで、現在のように多様な生物が暮らすようになったと考えられています。

種分化は、同じ種の中から別々の食事や、別々の生活場所、別々の習慣で生活するグループが現れ、それぞれのグループが遺伝的に離れていくことで起こります。たとえば、もとは1つの種だった生物が、山脈によって2つの集団に分断され、山脈の両側でそれぞれの集団が少しずつ異なる形態や機能をもつようになることがあります。

この2つの集団に分かれたショウジョウバエ同士が出会って交配したとき、その子が死ぬ、または不妊になるとどうなるでしょう。ますます2つの集団に属するショウジョウバエ間の交流は薄れ、次第に別の種になっていくことが予想されます。つまり、雑種が死んでしまったり不妊になったりする現象は、種分化における重要な過程の1つです。

死の謎を解く遺伝子に迫る
ショウジョウバエを用いて種分化について調べるためには、まず近縁種のショウジョウバエ同士を交配させてみます。近縁種といっても種が異なるので、自然界で交配することはほとんどなく、子も生まれません。しかし、狭いビンの中で一緒に飼育することで、人工的に交配させることは可能です。

学生時代の澤村先生がキイロショウジョウバエと、その近縁種のショウジョウバエを交配させると、親のキイロショウジョウバエとは反対の性の子が死んで、死ななかった方の性の子は不妊になりました。自然界では基本的に交配しない種同士を人工的に交配させているので、子が死んだり不妊になったりすることはおかしいことではありません。しかし、興味深いのは、親のキイロショウジョウバエの性によって、死ぬ子の性が変わることです。

学生時代の澤村先生は、近縁種のショウジョウバエ同士を交配させる中で、この不思議な現象に興味を持ちました。そして、雑種が死んでしまう原因になる遺伝子(以後:原因遺伝子)が染色体上のどこにあるかを探したのです。

染色体は、X線を照射されることによって他の染色体とくっついたり、一部分が逆さまになったり、一部分がなくなって全体の長さが短くなったりすることが知られています。研究者はこうした性質を利用し、ショウジョウバエにX線を照射することでさまざまな長さのX染色体(性決定に関与する性染色体のひとつ)をもつショウジョウバエを作り出して、何代にも渡って飼育してきました。

澤村先生は、このように一部分が欠けたX染色体をもつキイロショウジョウバエの雄と、近縁種のショウジョウバエの雌とを交配させ、生まれた雑種の数を雌雄別に数えて記録しました。通常通りなら、雑種の雌は死ぬはずです。しかし例外的に、ある部分を欠失したX染色体をもつキイロショウジョウバエを親に使うと、死ぬはずであった雑種の雌が生存できるようになることがわかりました(図2)。

図2. X染色体の端の有無による雑種♀の生死のイラスト(X:X染色体、Y:Y染色体、筆者作成)

手作業の裏で進む思考
澤村先生は当時、毎日のように交配実験を行い、生まれてくる爪の先ほどの小さなショウジョウバエを顕微鏡越しに観察し続けました。その数は10,000匹を優に超えました。それだけではなく、ただでさえ小さなショウジョウバエの細胞の中にある、さらに小さな染色体を染色して観察し、その長さも測っていました。

しかし、実験ノートを見返しても、おびただしい数の記録はどれも抽象的な数字の羅列に見えました。何が何だかわからないことを数年間ずっと続けている中で、学生時代の澤村先生は「こんなことに意味があるのかな」と思い悩んだそうです。

ところが、澤村先生の思考を長らく覆っていた霧が、あるとき突然晴れました。澤村先生はその時の体験をこう語ります。

「ある瞬間にそれまで無意味だった数字の列が意味をもって、この遺伝子がここにあるということが見えてくる。それまでは説明できなかったデータが、突然、その理屈を説明できるようになったんだよ。それがわかってしまうと、その後どういうことをやっても、それと矛盾しないデータが出続けるんだ」

当時の澤村先生は、それぞれX染色体の長さがまちまちなキイロショウジョウバエを用いて交配実験を行いました。それによって何がわかるかというと、たとえば、原因遺伝子(図2のX染色体上の紫の部分)がX染色体の端に存在した場合には、端の部分を失った短いX染色体をもって生まれたショウジョウバエ(図2の右下)は死なずに生き延びて、端の部分を保持したX染色体をもつショウジョウバエ(図2の左下)だけが死ぬはずです。このようにして、澤村先生は雑種の雌が死ぬ現象の原因遺伝子のうちの1つが、キイロショウジョウバエのX染色体上の端に存在するということを突き止めました。

実験を始めて間もない頃は、得られるデータはクロスワードパズルのやり始めのように、ばらばらに散らばっていました。雌雄別の雑種の生存数を単独で見ていただけでは、その交配において雑種の雌/雄が死んだかそうでないかしかわからないため、その原因遺伝子の場所はさっぱり見えてきません。

しかし、わからない部分を追加実験で埋めていったことで、X染色体の長さと、雌雄別の雑種の生存数という2つのデータから「端の部分を欠失したX染色体を使った場合にだけ雑種の雌が死んでいない」ことがわかってきました。そして、「雑種の雌が死ぬ現象の原因遺伝子のうちの1つが、キイロショウジョウバエのX染色体上の端に存在する」という全体像がクリアに見えてきたのです。

学生時代の澤村先生でさえも、この実験結果の解釈には長らく苦戦しました。しかし、次第にデータの背後に潜む意味を理解し、その結果、遺伝子の位置特定に成功しました。この過程で、数年間の地道な努力がいかに重要であったかを実感されたといいます。

そして、その体験は、一回きりの奇跡ではありません。現在でも、澤村先生は共同研究者と実験を進める中で、何度も同じような体験をしたと語られます。ひらめきの鍵は、地道な実験を続ける忍耐力、そして、常に考え続けることでした。

挑戦する場所を見つける旅路
「初めは意味がわからないことでも、一年も二年もずっと続けていると、ある時突然、全てのデータが綺麗に説明できるようになる。その瞬間が研究をしていて一番わくわくするとき。でも、その意味がわかるまでは大変だった」と感慨深く語られる澤村先生。「わかるようになった瞬間は楽しいけれど、そこまで何年もかかる。その意味がわかるまで、我慢してこつこつ続けるのはやっぱりつらい」

また、インタビューの中で、澤村先生は「研究テーマを、自分で見つけないと研究は始まらない」ともおっしゃいました。本当にやりたいことが見つかるまでの間、挑戦する先を変えることは決して悪いことではなく、むしろ成長につながる重要なステップです。その果てに自分が本当に興味を持ち、追求したいことを見つけたなら、苦しいときにも踏ん張ることができます。

澤村先生のお話を聞いてから、私はこのように考えるようになりました。外国語学習や数学の難解な問題と同じように、はじめは何事も私たちは自分のやっていることの意味がわからないままに続けることになります。わからないままでは、どれだけやってもできるようにならない。それが続けば、部活や仕事、研究で思うような成果を出せず、同期とは差がつき、後輩にもどんどん抜かれていく。その苦悩が続く時間を、多くの人が一度は経験するでしょう。そして、そうした小さな挫折感の連続は、私たちを「すぐに、確実に成果の出ることへの挑戦」だけに誘導していくのかもしれません。

それでも、わからないなりに苦労している時間は、自分でも気づかないところで必ず知識や経験として蓄積されています。あるとき突然降りてくる「ひらめき」は、偶然ではなくあなたの長い努力がもたらした、あなたのための正当なごほうびなのです。

その始まりは、目先の利益ばかりにとらわれず、時には辛抱し、答えがない時間や不安定な状態に耐えること。自分の経験と知識から頭をフル回転させて試行錯誤し、考え抜く習慣を身につけた先こそ、充実した日々が待っているのではないでしょうか。中断していた資格試験、暇な時間に挑戦してみるパズル……題材はなんでも大丈夫。さっそく今日から、私も読むのをやめていた本にもう一度チャレンジしようと思います。学問や仕事における成功のためだけではなく、日々生きる中で他者も自分も傷つけないように、人生を後悔なく、自分らしく楽しみ続けるために。

【取材・構成・文:筑波大学生物学類 粕渕友里】