ミトコンドリアの熱産⽣は、従来のプロトンリークではなく、酵素反応の過電圧によるものと解明。
新指標「電⼦伝達頻度(ETF)」を導⼊し、呼吸エネルギーの45〜71%が熱散逸すると定量評価。
呼吸鎖の複合体IVでの酸素還元反応が、全体の70%以上を占める主要発熱部位と特定。
概要
北海道⼤学触媒科学研究所の武安光太郎准教授(筑波⼤学数理物質系客員准教授兼務)、中村潤児
客員教授(研究当時:筑波⼤学数理物質系/九州⼤学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所)、
九州⼤学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所のヌニン アヌグラー プトリ ナマリ博⼠(研
究当時)らの研究グループは、ミトコンドリアにおける熱産⽣メカニズムについて、⾮平衡反応系と
しての理解に基づいて、電気化学の概念を⽤いることで新たなメカニズムを解明しました。
これまで、細胞内の熱産⽣はミトコンドリア内膜の「プロトンリーク」*1によるものとされてきま
したが、その物理的なメカニズムは⼗分に分かっていませんでした。本研究では、燃料電池などの電
気化学システムにおけるエネルギー散逸(ジュール熱)の概念を⽣物システムに応⽤しました。酵素
の電⼦伝達プロセスを単⼀サイトレベルで分析するための新たな速度論的指標「電⼦伝達頻度
(ETF)」*2を導⼊し、電⼦伝達系を電気化学回路としてモデル化しました。その結果、呼吸によって
得られるエネルギーの45〜71%が酵素反応を駆動するための「過電圧」*3として消費され、熱散逸す
る(熱として失われる)ことが明らかになりました。特に、複合体IV(シトクロムcオキシダーゼ)*4
における酸素還元反応(ORR)が全体の70%以上の熱を⽣み出す主要な要因であることを突き⽌めま
した。また、従来の「プロトンリーク」は直接的な熱源ではなく、膜電位*5を低下させることで、結果
的に直接的な熱源である過電圧による熱散逸を増幅させていることを実験データを基に⽰しました。
本研究の成果は、ミトコンドリアにおける熱産⽣の直接的な原因が、従来考えられてきたプロトン
リークそのものではなく、電⼦伝達反応に伴って⽣じる過電圧によるエネルギー散逸であることを⽰
したものです。さらに、プロトンリークは膜電位を低下させることで過電圧損失を増⼤させ、結果と
して熱産⽣を増幅することを提案しました。
なお、本研究成果は2026年3⽉30⽇(⽉)公開のChemical Science誌にオンライン掲載されました。
ミトコンドリア呼吸鎖の電⼦移動を電気回
路としてモデル化し、過電圧によるエネル
ギー損失が熱産⽣の起源となることを⽰し
た図。主な発熱部位は複合体IV である。
【背景】
⾮平衡状態で進⾏する電⼦伝達反応において、化学エネルギーがどのように熱として散逸するかを
理解することは、物理化学における中⼼的な課題です。燃料電池などの電気化学システムでは、反応
を進⾏させるために「過電圧」と呼ばれる余分な電圧(電位差)をかける必要があり、その際に消費
されるエネルギーによって熱(ジュール熱)が発⽣することがよく知られています。⼀⽅で、細胞の
主要なエネルギー⽣産⼯場であるミトコンドリアにおいても熱が産⽣されますが、⻑年、これは「化
学浸透仮説」*6の枠組みの中で「プロトンリーク」によるものと説明されてきました。プロトン漏れ
の経路などについての理解は進んでいましたが、それが定量的にどのように熱へと変換されるのか、
その根本的な物理メカニズムにはギャップが存在していました。
【研究⼿法】
本研究グループは、ミトコンドリアの電⼦伝達系(複合体I〜IV)を、燃料電池のように各酵素が抵
抗要素として働く「⾮平衡電気化学回路」としてモデル化しました(図1)。酵素の反応を定量的に評
価するため、不均⼀系触媒分野で広く⽤いられるターンオーバー頻度(TOF)*7に相当する概念とし
て、単⼀活性サイトあたりの電⼦移動速度を⽰す「電⼦伝達頻度(ETF)」を新たに導⼊しました。こ
れまでに報告されている様々な酵素の電気化学的パラメータ(交換電流密度など)を⽤いて、細胞レ
ベルの酸素消費速度から定常状態のETFを算出し、各呼吸複合体における過電圧をButler-Volmer式*8
を⽤いて定量化しました。これにより、呼吸鎖全体のどこで、どの程度のエネルギーが熱として放出
されているのかを計算しました。
【研究成果】
分析の結果、酸素還元反応(ORR)を担う複合体IVの交換電流密度が極めて⼩さく、反応速度が遅
い(速度論的に律速している、ミクロでは酸化反応と還元反応とが起こる速度がほぼ同⼀でありマク
ロでは何の反応も起きていないように⾒える)ことが⽰されました。これにより、複合体IVで⾮常に
⼤きな過電圧(約0.54 V)が発⽣し、全体の過電圧の⼤部分を占めることが分かりました。⽣理学的
な電⼦伝達速度の範囲において、呼吸によって得られる全⾃由エネルギーのうち約45〜71%が過電圧
として消費され、熱に変換されると推定されました。これは、過去の熱量測定データの報告とよく⼀
致しています。さらに、この熱の70%以上が複合体IV単独から発⽣していることが判明し、ミトコ
ンドリアにおける主要な熱産⽣部位が特定されました。また、従来熱源とされてきた「プロトン漏れ」
については、プロトン漏れが膜電位を低下させることでプロトンポンプのエネルギーコストを下げ、
余剰となったエネルギーが各酵素の反応過電圧に振り向けられることで反応が加速し、結果的に過電
圧による熱の発⽣が増幅されるというメカニズムであることを明らかにしました。
【今後への期待】
本研究により、⻑年の謎であったミトコンドリアの熱産⽣が、触媒化学・電気化学における「過電
圧」という概念で定量的に説明できることが証明されました。新たに導⼊された「電⼦伝達頻度(ETF)」
は、酵素の酸化還元反応を分析するための強⼒なツールとなります。この発⾒は、代謝の調節メカニ
ズムや、病気や健康におけるミトコンドリア機能不全の理解に向けた新たな枠組みを提供します。本
研究成果は、複雑な⽣命現象を⾮平衡統計⼒学に基づく⾮平衡反応系として定量的に理解する道を拓
くものであり、電気化学分野における過電圧分析の⼿法が、⽣物学的なエネルギー変換や散逸のシス
テムへ応⽤可能であることを⽰しています。化学と⽣物学の垣根を越えた学際的研究の進展が期待さ
れます。