病院で加速器が動き出す日。中性子が拓く次世代がん治療の最前線

代表者 : 熊田 博明  

熊田 博明 准教授(医学医療系)

■短期間で効果を得る中性子治療
 ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)は、ホウ素と中性子が反応して生じるアルファ線とリチウム粒子によって、がん細胞を選択的に破壊する治療法です。がん細胞だけに集まる性質を持つ薬剤にホウ素を導入し、これを投与することでがん細胞にホウ素を取り込み、そこへ中性子線を照射します。がん細胞内で発生するアルファ線とリチウム粒子が飛べる距離は10ミクロン程度。ちょうど細胞1 個のサイズに相当します。つまり、がん細胞のDNA だけを破壊し、そこで止まるの
で、周囲の正常細胞への影響はありません。とりわけその効果が発揮されるのは、悪性の脳腫瘍や頭頸部のがんなど、外科的に取り除くことが難しいがんです。放射線治療で一般的に使われるX 線は、体内を通り抜けるため、がん細胞に集中して照射することが難しく、周囲の正常な細胞にもダメージを与えてしまいますが、BNCT を使えば、正常細胞の中に散らばったがん細胞だ
けを選択的に攻撃することができます。がんが再発した場合でも、正常細胞が許容できる放射線量を越えることなく、繰り返し放射線治療を施すこともできるのです。
 また、通常の放射線治療では数10回の照射が必要で、治療期間も1カ月以上に及びますが、NCTだと重篤な症例でも30分程度の照射1回で十分です。BNCTの殺細胞効果はとても強力で、照射後、1カ月程度でがんが消滅していきます。BNCTは、患者にとっての負担が小さい上、高い治療効果が得られる画期的な方法です。

■加速器と医療をつなぐ
 この治療方法に不可欠なのが中性子線を発生させる装置です。その方式には、原子炉を使うものと加速器を使うものの2 通りがあります。原子炉方式は、東海村と京都大学で研究されていましたが、東日本大震災後、いずれも稼働しておらず、運用面で治療方法としての実現は不可能な状況です。一方、加速器方式は、装置を病院に併設でき、原子炉のように高度な放射線管理や定期的に停止させる必要もありません。臨床研究を進め、医療の段階へとステップアップすることができます。
 開発しているのは、長さ7m ほどの直線型加速器。高エネルギー加速器研究機構や企業との連携プロジェクトとして、つくば国際戦略総合特区の取り組みの一つになっています。加速器は通常、素粒子や原子を観察したり、物質の極限構造を調べるのに用いられます。この場合、瞬間的に強いビームを出すことが重要ですが、医療ではむしろ、一定の強度のビームを安定して出し続けることが求められます。また、ビームを患者に照射する際の角度や時間のシミュレーションなど、治療の条件検討も必要です。医学と物理・工学の専門知識を併せ持ち、双方の要求を満た
しながら、医療器具としての加速器を開発できる人材は、とても貴重な存在です。

■人材育成の拠点も担う
 BNCT の原理は1930 年代にすでに提唱されていましたが、技術の進歩が追いつき、実現のめどが立ったのは最近のことです。現在、BNCT に取り組んでいる機関は国内に4 カ所あります。そのうち筑波大学などが開発中のプロトタイプ装置は東海村に設置されており、まもなく完成します。中性子の出力や安全性を確認した後、来年の上期中にも患者に適用した臨床研究を開始で
きる見込みです。さらに薬事治験を経て、治療方法として認められると、医療として提供することが可能になります。 将来的には、同様の加速器を附属病院に設置することを目指しています。それによって、より多くの患者が治療を受けられるようになります。外科手術や抗がん剤との併用や、すでに実施している陽子線治療との使い分けもでき、個々の症状に応じた最適な治療
法が選べる、がん治療の世界的拠点となることが究極の目標です。
 この治療が普及するためには、加速器を操作・運用できる人材の育成も欠かせません。これに当てはまる資格が医学物理士です。ただし、全国に数百人いる有資格者のうち、現
在、BNCT を扱えるのはわずか4 人程度。
筑波大学は、治療方法の確立と並行して、医
療スタッフがBNCT の経験を積む場とし
ての役割も担っています。
■医学・工学・化学の力を集結
 もともとはソフトウェア開発が専門でし
たが、東海村の原子炉で工学者として附属
病院の医療チームと共同研究をしたことが
きっかけで、BNCT という新しい治療法に
出会いました。筑波大学に移って本格的に研
究を始め、治療によって実際に患者が治って
いく様子を見るにつれ、加速器の開発にやり
がいを感じるようになりました。
 BNCT は医療ですが、そこには医学・工
学・化学などさまざまな分野の最先端の知見
が詰まっています。がんそのものの生理学的
な性質の理解、中性子や加速器を活用する技
術、中性子と反応する有効なホウ素薬剤の開
発、これらが一体となってはじめて、治療方
法として完成するのです。このようなコラボ
レーションができる環境が整っていること
が筑波大学の強み。特に、臨床研究が動き出
してからが、力の見せどころです。
 治療成績や適用可能ながんの種類などの
面で、日本のBNCT には世界中の注目が
集まっています。臨床データが蓄積されてい
けば、医薬メーカーの積極的な関与も期待さ
れ、一気に研究に弾みがつくことでしょう。
 この治療方法を待ち望んでいる患者は大
勢います。1 日も早く先進医療や保険診療の
道を拓き、多くの人に提供したいという熱い
思いは、医師も技術者も同じです。