生命環境系 有泉亨(ありいずみ とおる)准教授
トマトは世界中で愛されている野菜です。国別の人口一人当たりの年間摂取量の世界平均は約20kgとされています。日本でもトマトの生産量,消費量は野菜のなかでトップクラスです。それでも1人当たりの年間消費量は8.7kgで,世界平均から見ると少な目です。これには,食文化も関係しているかもしれません。日本では生食が主流ですが,世界では調理用が多くなります。日本では,加工用トマトのほとんどは輸入ですが,生食用トマトはほぼ自給しています。日本では比較的甘いトマトが好まれており,ブランド化も進んでいて,1個1000円以上という高級トマトまで登場しています。ブランド化,高価格化には,生産に労力がかかることも関係しています。その最大のネックは着果作業です。着果促進剤(受粉しなくても実をつけさせるためのホルモン剤)をスプレーしたり,バイブレーターを用いて受粉させたりと,1個1個の花を処理する必要があるからです。媒介昆虫であるマルハナバチを利用する方法もありますが,購入費用がかかる上に,ハウス外に逃げださないための施設管理が必要です。農業従事者の減少と高齢化が進む中,悩ましい問題です。
有泉さんが属する研究チーム(蔬菜・花卉学研究室)は,大量のトマトに突然変異を起こし,その中から有用な形質を選抜する研究をしています。研究に使用しているトマトはマイクロトムという特別な品種です。もともとは園芸品種として1989年に米国で観賞用として作られた矮性の品種です。背丈が15〜20センチあまり,種子をまいてから3カ月ほどで実がなる便利さから,トマト研究用のモデル品種として普及しています。筑波大学遺伝子実験センターは,マイクロトムの大規模変異体集団(1万系統以上)を保有しています。この果実はあまり食用には向きませんが,他の品種との交配が可能なので,通常の品種改良の手順を用いて有用な変異を他の品種に導入することが可能です。
有泉さんのチームが特に力を入れているのは,着果作業をしなくても実がなる遺伝的な変異を見つけてその仕組みを調べ,有用な品種を作り出すことです。前述したように,トマト栽培のネックの一つは,着果作業が大変なことです。研究は,何千株ものトマトから有望な変異体を選抜することから始まります。ちょっとした変化を見逃さず,有望そうな株を選び出すのです。受粉をしなくても実がなる性質は単為結果性と呼ばれます。通常は,雌しべの先端に付着した花粉から花粉管という管が雌しべの奥まで伸びて受精を果たして初めて,子房が膨らんで実に成長します。しかし単為結果性の変異体では,受粉も受精もなしに実が成長するのです。ただし,単為結果では,実は大きくなりますが,種子はできません。種子をとるためには,受粉が必要です。単為結果性トマトでも,受粉をさせれば種子をもつ実がなるのです。
トマト品種
マイクロトムの野生株(左)と単為結果性の変異体(右)の花トマト品種
マイクロトムの花の色の薄い変異体(左)と野生株(右)
単為結果性があるならどんな変異体でもよいというわけではありません。商品価値のあるトマトであるためには,収量,日持ち性,果実の質など品質面が高いことも大切です。有泉さんたちは,商品価値が高く,生育も安定している系統をすでにいくつか見つけています。そういう系統と既成の有用品種を交配させていけば,単為結果性をもつ上に市場価値の高い「未来志向型のトマト品種」の開発も,それこそ夢ではありません。それを実現するためには,単為結果が起こる遺伝的な仕組み,原因遺伝子の解明も欠かせません。仕組みがわかれば,トマト以外の野菜や果樹への応用も可能です。有泉さんたちは,興味深い遺伝的な仕組みをいくつか見つけているほか,メロンの研究も進めています。健康に良いカロテノイド(カロチノイド)含有量が高いトマトの変異系統を研究する過程で,果実ではなく花の色に関係する遺伝子も見つけました。その発見は,農林水産省の花き研究所との共同研究に発展しています。
有泉さんは,東北大学の大学院ではイネの研究をしていました。ワシントン州立大学でのポスドク時代はシロイヌナズナというモデル植物を用いた基礎研究をしていました。筑波大学のポストに就けたのは,ちょうど,再び有用植物の研究をしたいと思っていた矢先のことでした。ただし最初から順調な滑り出しではありませんでした。地道に成果を積み上げ,5年目を迎える頃から研究が花開き出しました。今は,興味深い現象の遺伝的仕組みを探る基礎研究が応用にも直結する研究の醍醐味を,日々実感しています。