前倒のないケースに挑む
生まれつき心臓の右心室と左心室の間の壁に穴が開いている病気(心室中隔欠損)は珍しいものではありません。通常は生後、体重3~4kgに成長するのを待って手術を行いますが、このケースでは 1kgほどの極小未熟児で生まれ、その直後から命にかかわる状態に陥りました。かつてない低体重の手術ですが、すぐに処置しなければ手遅れになることは明らか。決断はひとつしか残されていませんでした。
しかし、あまりに小さな赤ちゃんです。心臓の大きさはウズラの卵ほど。さすがに直接メスを入れるのは困難でした。そこで最初に行ったのが肺動脈にテープを巻いて肺への血流を絞る手術です。手技自体は一般的なも のですが、太さ数ミリの血管、しかも周りにほとんどスペースのないところヘテープを回すのは至難の業。ちょっとでも傷をつけたらアウトで1mmの誤差も許されない、そんな緊迫した作業でした。
4か月後、3kg弱にまで成長した段階で2度目の手術を行いました。今度は心臓の穴を直接ふさぎます。人工素材でできたパッチをあて、周囲を糸で縫い付けていきます。手芸と同じ要領ですが、やり直しはききません。ひと針ひと針が真剣勝負。それを15~30分ほどで終わらせる手際のよさも必要です。
手術は成功したものの、容態は安定しませんでした。その日のうちに心臓が止まってしまい、心臓マッサージと補助循環装置で6日間、なんとか命をつなぐことができたのです。その後は徐々に回復に転じ、3か月後には元気に退院していきました。振り返ると、奇跡がいくつも重なったようなケースでした。
チーム力が発揮される小児 I C U
このような治療は外科だけではできませ ん。生まれたばかりの赤ちゃんを最初に助けるのは新生児科です。点滴を入れたり、人工呼吸の管を通したり、それを新生児用のカプセルの中で行います。まさにボトルシップ細工のような繊細な作業です。それから外科医の出番。手術室には、執刀医の他に 麻酔科医、人工心肺などの機器の技師、看護師、アシスタント、最低でも7~8人のチームが必要です。術後のケアも含め、それぞれがプロの仕事を 1 2 0 % 果たして初めて、一つの治療が成功するのです。治療の舞台となったのは筑波大学附属病院の小児 I C U(小児救命救急センター)。 未来ある子どもたちを救う重要な施設ですが、病院ビジネスの面ではコストパフォーマ ンスが悪く、全国的にも整備は進んでいません。そんな中で厚生労働省との交渉や病院内の調整に奔走し、2013年1月に開設されました。国内で8ヶ所しかないうちの、一番新しい施設です。
このセンターは高度救命救急医療に特化しており、他の病院では治療ができない重篤な小児患者を扱います。ですから受け入れの要請は絶対に断りません。すべての科がいつでも対応できるよう待機しています。8つのベッドはほぼ常に満床。これからの医療を担う若い人たちにとっては、命を救う先頭にたつ自覚とモチベーションを培う魅力的なユニットです。
「ノブレス・オプリージユ」の心で
医療には、知識や技術・設備だけでなく、 コミュニケーションも不可欠です。特に小児 I C U では、短時間で患者の両親との信頼関係を築かなくてはなりません。うまくいくとは限らない手術に同意するか、治療法の選択肢がほとんどない状況で判断を迫られる両親には、医学的な細かい説明よりも、その手術が子どもにとってどれほど重要か、そして、何としても助ける、という医師の誠実で強い気持ちが頼りです。
もちろん、小さな体に傷をつけるためらいや、自分の患者が命を落とすようなことは避けたいという思いはあります。その葛藤やプ レッシャーを乗り越え、患者に対して最善を尽くす高い志とリスクを負う覚悟を持つ。それがプロフェッショナルたる医師が果たすべき責務「ノブレス・オプリージユ」の精神であり、患者やチームの信頼を得る第一歩なのです。
一番遠いところを目指す
外科は患者の体に最も直接的なアプ ローチをする医療です。その中でも心臓外科の道を運んだのは、一番難しそうに見えたから。心臓はまさしく命にかかわる臓器で、病気の症状もさまざま、治療のテクニックや道具も多彩なうえ、複雑な思考プロセスや判断力が求められます。最初はとても無理 だと思いましたが、だからこそ自分にとって一番遠いととろへ行ってみようと決心しました。
小児専門の心臓外科はさらに難しい分野です。成人とは違い、先天性の疾患を扱うため手術のバリエーションも多く、どれもが初めてのケースのようなもの。それを、多い時には一度に4~5人の患者を担当し、それぞれの治療方針や経過のことを常に案じ、手術の前にはイメージトレーニングを繰り返します。過去の症例や経験に基づいた判断でも、それで正しいのか、毎日が緊張の連続です。それだけに、命を救う達成感は 何にも代え難いものがあります。
大学は教育の場ですが、実際の医療は教科書通りにはいきません。医療現場での自らの姿を過してしか伝えられないこともあります。医師というのは地道な仕事。一度に一人しか助けることができないももどかしさも感じつつ、それでも、医学生にとっての目指す姿、越えたいと思える存在でありたい、その願いを秘めてさらに遠くへ歩み続けます。
平松祐司教授(医学医療系)