生命環境系 澤村 京一(さわむら きょういち) 准教授
生物学の授業で,メンデルの遺伝の法則を学んだはずです。メンデルは,エンドウマメの交配実験で遺伝の法則を発見しました。その後の遺伝学の発展を支えたのはショウジョウバエという小さなハエでした。1900年代の初めに,アメリカの遺伝学者モーガンの研究室で始まった研究がきっかけでした。なにしろ小さなガラス瓶で一度にたくさん飼える上に,10日ほどで世代交代するので好都合です。澤村さんの研究室では,そのショウジョウバエをたくさん飼育しています。かつてはたくさんの種類を飼っていましたが,現在は必要最小限の材料として,キイロショウジョウバエという代表的な種類とその近縁種が主です。ショウジョウバエの仲間は,世界中に4000種近くいると言われています。日本にいるのは200数十種程度だとか。それにしても多いですね。こんなにたくさんの種類のショウジョウバエがなぜいるのか,それが澤村さんの研究テーマです。
実体顕微鏡下でハエを仕分ける「伝統芸」の作業。
左のロート状のガラス瓶はハエに麻酔をかけるためのもの。
地球上の生物は,遠い昔にいた共通の祖先から枝分かれするようにして進化してきました。ショウジョウバエのたくさんの種類も,元祖ショウジョウバエから進化したと考えられます。種が分かれるにあたっては,行動の変化や生理的な変化が伴っています。行動が変われば,そもそも交尾が起りません。生理的に変われば,交尾をしても卵が正常に発達しなかったり,不妊の子が生まれたりします。そうした変化の背後では,遺伝子の変化が起こっているはずです。澤村さんは,別の種に分かれた近縁種どうしをいろいろな組み合わせで交配させて雑種を作り,その遺伝学的な性質を調べることで,それぞれの種を特徴づけている遺伝子の特定を進めています。その基本作業は,100年前のモーガン研究室と同じです。それを澤村さんは,冗談めかして「伝統芸」と呼んでいます。研究室では,いろいろな組み合わせから生まれてきたハエにエーテル麻酔をかけ,顕微鏡で見ながら特徴ごとに分けて数を数えていきます。毎日何千個体も数える根気のいる仕事です。その結果,種を分けている遺伝子レベルの仕組みがかなりわかってきました。一見,アナクロな手法に聞こえますが,ショウジョウバエは2000年に全ゲノムの塩基配列の解読が完了しているほか,様々な遺伝子の働きが特定されています。それだけの情報の蓄積があるからこそ,光学顕微鏡で調べられる範囲だけでも,遺伝的な深い仕組みに迫れるのです。
左:キイロショウジョウバエの野生型雌,右:二重変異体雌(複眼および翅が欠損)
(撮影:新井健太)
筑波大学は,前身の東京教育大学の時代から昆虫学,遺伝学研究の伝統がありました。ただしそれについては「伝統」の継承にこだわるのではなく,研究の多様性を重んじる気風が受け継がれてきました。そのおかげで,同じショウジョウバエを使う研究でも,その内容は研究室ごとに遺伝学,発生学,行動学,内分泌学など,多岐にわたっています。それ以外にも昆虫を研究する研究室があります。じつは,筑波の名前が付いたショウジョウバエもいます。ドロソフィラ・ツクバエンシスという学名のついたツクバショウジョウバエです。現在は東京学芸大学准教授の高森久樹さんが筑波大学の大学院生だったときに発見して命名した種です。
澤村さんは,昆虫少年でした。学生時代は,海外にまで足を延ばして昆虫採集をしたほどです。しかし今は,そんな時間はなくなってしまいました。引退したら,身近な不思議を研究してみたいと語ります。じつは,春になるとキッチンに出現するコバエがどこでどうやって越冬しているのか,よくわかっていないのです。引退はまだまだ先の話ですが,3年前からは,昔取った杵柄で,科学技術週間に開催される筑波大学キッズ・ユニバーシティで,構内の昆虫探検隊を率いています。夏休みには,筑波大学東京キャンパスの教育の森昆虫探検の隊長も務めました。大学の授業では,基礎生物学実験,遺伝学などの講義のほか,教員免許講習の講師も担当しています。子どもたちには昆虫採集の楽しみを,学生には生物学の奥儀を,理科教員には生物学教育の真髄を伝授しながら,今日も伝統芸に精進しています。
「伝統芸」に従事する面々。研究成果発表のポスター前で。
(文責:広報室 サイエンスコミュニケーター)
(2016.4.19更新)