体育系 山口 香(やまぐち かおり) 教授
1989年筑波大学大学院修士課程体育研究科修了。6歳で柔道を始め、13歳の時に第1回女子全日本選手権(50kg以下級)で最年少優勝、その後10連覇を達成。1984年世界選手権優勝(52kg級)、ソウル五輪銅メダル獲得(52kg級)など、女子柔道界の先駆者として活躍。1989年に現役引退後は、コーチングやアスリートのセカンドキャリアなどに関する研究・教育に携わり、2007年武蔵大学人文学部教授、2008年筑波大学体育系准教授などを経て2018年より現職。日本学術会議会員、東京都教育委員会委員、日本バレーボール協会理事なども務める。
スポーツの社会的意義を高めるためのセカンドキャリア
世界で活躍する日本人トップアスリートが増えてきました。しかしどんなに優れたアスリートでも、いずれは引退し、普通の社会人として生きるステージがやってきます。そのときに、どのような道を選び、どのように社会と関わるか、現役で競技に取り組んでいる間は、そこまで考える機会があまりないのが現状です。 一生懸命にスポーツに打ち込んだアスリートたちの生き方を、社会に還元できる形にするための、セカンドキャリア教育が求められています。
重要性を増すスポーツマネジメント
山口教授研究室
多くの人がスポーツを日常的に楽しんでいます。けれどもスポーツの世界は、競技を行ったり、試合を観戦することだけで成立しているわけではありません。それぞれの競技を盛り上げていくためには、有能な人材を発掘し、指導し、トップアスリートにまで育て上げ、さらに、引退後のキャリア形成に至るまで、一貫したマネジメントが必要です。また、そういった選手強化をバックアップする各種スポーツ団体の組織運営や、スポーツ政策とのリンクなど、さまざまな視点から、スポーツ界全体のシステムを学問的に考察しています。
アマチュアスポーツが主流だった時代の名残か、スポーツ団体の運営は、競技に関わる有志のボランティアに頼ることが多く、規則よりも、師弟関係などの人間関係に 左右されやすい面があります。そのため、何か問題があっても互いにかばい合い、アスリートたちの華々しい活躍の裏に隠されてしまいがちです。
多くの競技で日本人アスリートが活躍するようになった背景には、国によるスポーツ支援政策があります。施設を整え、選手強化に税金が投入されると、説明責任や費 用対効果の検証などが求められますから、スポーツ団体のガバナンスにも注目が集まります。そのための指針である、スポーツ団体ガバナンスコードの策定(2019年)にも関わりました。
トップアスリートの社会的役割
ハラスメントやコロナ禍でのオリンピック開催など、スポーツを巡る問題は、しばしば社会的な議論になります。ところが、それに対して自分の意見を述べるスポーツ関係者はごくわずかです。そんな中で、批判的なことや政治的なことも含めて積極的に発言を続けてきました。それにはトップアスリートゆえの理由があります。
男性だけのスポーツだった柔道の世界に飛び込んだ頃、男性と女性とでは体格もメンタルも異なり、それぞれに適した練習環境が必要であることは認識されていま せんでした。そんな中では、生意気だなどと言われながらも、意見や要望をはっきり主張することが、強くなるために必須だったのです。自分の意見を率直に発言する姿勢は、その経験から培われました。
また、オリンピアン、メダリストであることは、単なる個人のキャリアではありません。トップアスリートになるまでには、国や社会からたくさんの援助を受けており、それを社会に還元する義務があるはずです。特別な経験をしたからこそ得た豊かさや価値観を持ち、それに基づいて堂々と発信することは、本来担うべき役割。だからこそ海外では、トップアスリートは、社会的な影響力を持ち、リスペクトされるべき人物として認められます。日本でも、同じような考え方が広がって然るべきです。
スポーツの価値とセカンドキャリア
アスリートにとっては、その競技で一番になるという目標は掲げられても、その先にも人生があることにまでは考えが及びにくいものです。ですから、保護者や指導者が適切な指導をしなければ、将来に役立つさまざまな教育を受ける機会を逸してしまうかもしれません。世界中を転戦するトップアスリートたちも、スポーツ関係者や支援者以外との交流は意外となく、ファンや近しい人々から無条件に讃えられ大事にされる日常を、当たり前に感じることも珍しくありません。そうやって、いざ、引退して社会に出たときに、人々の見る目の変化に戸惑い、結局、同じような仲間とグループを作って、再びその中に閉じてしまう。アスリートに対する社会的リスペクトが高まらないことや、なかなか根絶できないスポーツ団体の不祥事も、そういった閉鎖性に根本的な原因があると考えられます。
次々と登場する若いアスリートたち。しかし、競技成績やプレーの格好良さだけに注目していては、スポーツが社会的資源や文化的価値のあるものとして成熟しません。それは、アスリートたちにとっても残念なこと。セカンドキャリアについてしっかり考え準備することは、アスリート自身の人生を豊かにしつつ、次の世代のアスリートたちのロールモデルとなり、スポーツ人材育成の意義を向上させます。
将来を考えるからこそ頑張れる
自分自身のセカンドキャリアを考えた時、女性として柔道を始めた最初の世代であることを強く意識しました。柔道一筋にやってきた女性が、競技の第一線を退いても社会的に重要な地位について活躍できる、キャリアを選べる、ということを示したいと考えたのです。指導者であり教育者であり研究者であることのできるポジションとして、大学は大きな選択肢でした。後輩たちにも、同様の道に進む人が多く、高等教育における女子柔道・女子スポーツの位置付けを変えていく動きにもつながっていきました。
ただ、すべてのアスリートが、引退後もスポーツに関わり続けるとは限りませんし、スポーツ以外でも同じように頑張れるものではありません。厳しい練習に耐えられるのは、それが自分の好きなことであり、目指すべき目標があるからです。また、トップアスリートほど効率良く練習をしますから、現役時代は試合や練習以外のことに充てる時間的余裕がないというのも、素人の誤解です。活躍できる時期や期間が限られるアスリートは、出産や子育てといったライフイベントや、学業との両立、健康管理などについて、実は、他の人たちよりも緻密に向き合う必要があります。将来の道筋を見据えればこそ、今ここで全力を尽くせるという考え方が、少しずつ浸透してきています。
本当のスポーツの力を見つける
「スポーツの力」が謳われる一方で、特にオリンピックに関しては、近年、さまざまな問題が浮き彫りになっています。それでも人々は、オリンピックを無条件に特別なスポーツイベントとして扱いがちです。しかし本当にはどんな力、価値があるのでしょうか。メダルを取ったからといって人生が保証されるわけでもなく、競技のために犠牲にしたものも多いでしょう。周囲の期待に応えられずに深刻に思い悩むアスリートの姿も目にします。実際にアスリートたちに深く聞き取り調査をしていくことで、エビデンスをもって、真のオリンピックの価値、スポーツの力が見えてくるはずです。
スポーツ界は、自らスポーツの価値を客観的・批判的に捉えることに対して消極的です。けれども、そういったデータを明らかにした上で、アスリートの教育や指導を行うことは、これからのスポーツ文化や社会におけるスポーツの役割を確立するためにも不可欠。チャレンジはまだまだ続きます。
スポーツウエルネス学学位プログラム
山口教授の写真
少子高齢化、高度情報化、自由時間の増大等に伴い、国民生活におけるスポーツや健康の位置づけはますます大きくなっている。こうした社会的要請に応えるために、主にスポーツ振興やスポーツビジネス、競技力強化、健康関連企業、健康施策分野の現職者を対象に、スポーツと健康の 社会・文化的資源の整備とともに、それらを有効に活用するシステムを開発し、自在に政策立案やマネージメントを展開していける高度な専門家の養成を目指す。
(研究室URL: https://www.shp.taiiku.otsuka.tsukuba.ac.jp/)
(文責:広報室 サイエンスコミュニケーター)